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甲16号証

甲16号証(原告:松井氏提出書類)

本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。

 htmlの性質上、元の印刷物とはフォントやレイアウトが違っているため折り返し位置が異なるが、できるだけ原文に忠実に再現した。


雑感310-2005.7.20「第2回口頭弁論の報告」

(アスベストについて書きたかったのだが、時間がなくなってしまった。今回は、この報告のみ。)

第2回口頭弁論の報告:—また、中下裕子さんだけ−

7月15日に開かれた第2回口頭弁論の報告。詳しい報告を、益永さんのHPで見ることができる。
http://risk.kan.ynu.ac.jp/masunaga/index_J.htm

松井さんが来ないのは分かっていた。しかし、中下さん以外に一人くらい弁護士は来るかと思っていたのだが、中下さん以外は現れず。ひどいものだ。

傍聴者は19人。一面識もない方や、私の講演を聴いたことがあるというだけの人もいた。私の応援に休暇を使い、旅費を使って来てくれている。一番遠くは、福岡県から。支援組織を作りたいと申し出てくれている山形大学助教授天羽優子さんは山形から。感謝します。

この事件名を正しく書くと、平成17年(ワ)第914号損害賠償請求事件(原告 松井三郎、被告 中西準子)で、松井三郎さんは、京都大学地球環境学大学院地球環境学堂教授。

今回は、松井さん側から証拠説明書と甲第4〜7号証(e-mail)と、第8号証(シンポジウムでの発表資料)、第9号証(陳述書)、さらに準備書面(1)が出された。また、中西側から4つの書証を出した。「環境リスク学」の書物関係と環境省主催「第7回内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」のプログラム・アブストラクト集である。これらの書類は、横浜地裁に行けば、誰でもいつでも閲覧できる。

提訴の底流

今回の提訴に、ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議の主要なメンバーが関係していることは既に様々なところで指摘されているし、また、環境ホルモン研究者の多くが関係していることも分かる。

しかし、裁判所に出された松井さんの陳述や、私宛のe-mailを読むと、それだけでない、どろどろしたものを感ずる。政治的なもの以外に、松井さん本人の考え方が、この裁判の推進力の一つにはなっている。底流にそういうものがあると強く感ずる。

どういう底流かと言えば、“俺は偉い”という強い主張である。見方によってはどろどろとした、他の見方によれば実に子供っぽいものであるが、それがすごい。

地球環境学堂

今回出された「陳述書」の中で、松井さんは以下のように書いている。

1. “パネリストの山形氏、日垣氏を紹介されましたので、私は中西氏の目の前で、お2人と名刺交換しました。その際、私が京都大学に新しく設立された大学院地球環境学堂に所属していることや「学堂」の意味についても説明しました。中西氏も目の前で聞いておられたはずです。

京都大学大学院地球環境学堂は、地球環境に取り組む研究と新しい人材を養成する大学院で、「学堂」は研究組織を意味し、これに対応する教育組織を「地球環境学舎」と称しています。「学堂」という呼称は、例えば、プラトンとアリストテレスを描いたラファエロの名画「アテナイ学堂」などに用いられています。

2. 1月17日に松井さんから送られてきたe-mailの中でも、“シンポジウムの打ち合わせの会議で、新しく設立された京都大学大学院地球環境学堂に所属していることを、山形氏、日垣氏と名刺交換の時、あなたの目の前で詳しく「学堂」の意味を説明しました。上の空で聞いていたのですか?”と詰問調で書いている。

学堂講釈

もちろん、この時の光景を私は鮮明に覚えている。学堂に関する松井さんの講釈を聞いていたのは、山形浩生さん、日垣隆さん、木下冨雄さん、吉川肇子さん、それに私である。

京都大学が、この名前を付けるまで、長い長い議論があったこと。また、プラトンやアリストテレスなどの哲人の名前を引きながら、単に学問をやるのではない、高い教養と人格の融合を図るのだというようなことを、一人で大声をあげて話していた。多分10分以上もだと思う。

私はしばらく聞いた後、席を外し、その部屋の隅にいた環境省の職員と雑談を始めた。上の空で聞いていたのではない。恥ずかしいから逃げ出したのである。そして、部屋を出るのではなく、隅で雑談を始めたのは、松井さんに止めて欲しいということを伝えたかったからである。私が席を外してからも、話はかなり続いた。

日垣さん、山形さんは、プラトンやアリストテレスについて、松井さんよりもっともっと知っているだろう。学内でいろいろ議論するのはいい。また、大学教授同士で、あれこれ議論するのもいい。しかし、大学の外側の人から見れば、学堂だろうが、研究科だろうが、研究院(横国は研究院)だろうが関係なく、名前に汲々とするより、内容をもっと変えることに努力すべきだと思うだろうな、とか、いろいろ考えた。そして、ひたすら止めて欲しいと思ったのである。同じ大学人として恥ずかしかったのである。私は、日垣さんが怒り出すのではないかと心配もした。

今回の陳述書にも「学堂」が現れた。「プラトンとアリストテレスを描いたラファエロの名画『アテナイ学堂』」ということが、この裁判でどういう意味を持つのか。まさかとは思うが、プラトンとアリストテレスにちなんで名付けられた「学堂」の教授だから、俺は偉いのだぞ、俺に文句を言う奴は誰も許さん、と考えているかのように受け取れる。

それにしても、シンポジウムの会場ではなく、その前の雑談で「上の空だったのでは?」として非難するのもひどい勘違いだ。自分が悪いとは思わないものだろうか?先にも書いたように、私は上の空ではなく、真剣に聞いたがために逃げ出したのだが。

30年くらい前には、こういう教授がいたように思う。「パスカルはね」とか、「デカルトはね」とか、そうそう、二言目には「マルクスは」という方もおられた。そういう、愛すべき事大主義者の教授でも、自分の話を「上の空」で聞いていたようだから、名誉毀損で訴えるという話は聞いたことがない。
こういう裁判に付き合わされている。

しかし

しかし、もしそれだけなら、松井さんも私を提訴しないだろう。時間もお金もかかるからである。

しかし、弁護士の市民運動家や、環境ホルモン研究者の応援で、殆どお金もかからないし、時間もかからない。しかも、これは社会正義だと言ってくれる人もいて、提訴に及んだ。

確かに、ほとんど時間も取られてはいないだろう。しかし、どう考えても、この提訴は違法訴訟である。その責任を問われるとすれば、松井さん本人でしかない。市民運動家も、弁護士も、別に責任を問われるわけではない。そのことが分かっているのだろうか?