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判決(2007/03/30)

○に数字は文字化けするので、1), 2)などに置き換えた。


平成19年3月30日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成17年(ワ)第914号 損害賠償等請求本訴事件
平成17年(ワ)第3375号 損害賠償請求反訴事件
口頭弁論終結日 平成19年2月2日

判      決

  京都市************
    本訴原告(反訴被告)  松井 三郎
    同訴訟代理人弁護士 中下 裕子
    同        神山 美智子
    同        長沢 美智子
    同         中村 晶子
  横浜市************
    本訴被告(反訴原告)  中西 準子
    同訴訟代理人弁護士  弘中 惇一郎
    同         弘中 絵里

主   文

1 本訴原告(反訴被告)の請求をいずれも棄却する。
2 本訴被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
3 訴訟費用は,本訴反訴ともに,これを2分し,その1を本訴被告(反訴原告)の負担とし,その余を本訴原告(反訴被告)の負担とする。

事実及び理由
以下,「本訴原告(反訴被告)」を「原告」といい,「本訴被告(反訴原告)」を「被告」という。


第1 請求
1 本訴
(1)被告は,原告に対し,330万円及びこれに対する平成17年4月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)被告は,原告に対し,別紙1記載の謝罪文を,被告のホームページ「中西準子のホームページ」(http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/)に,別紙2記載の掲載条件で掲載せよ。
(3)被告は,原告に対し,別紙1記載の謝罪文を,日本内分泌撹乱化学物質学会が発行するニュースレター「Endocrine Disrupter NEWS LETTER」に掲載せよ。

2 反訴
原告は,被告に対し,330万円及びこれに対する平成17年3月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。


第2 事案の概要
 (本訴)
 原告は,被告に対し,被告が開設したホームページである「中西準子のホームページ」に掲載された記事により,名誉を毀損されたとして,不法行為に基づき,慰謝料及び弁護士費用の合計330万円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成17年4月4日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めると共に,上記ホームページ等への謝罪文の掲載を求めた。
 (反訴)
 被告は,原告に対し,原告による本訴提起は不当訴訟に当たるとして,不法行為に基づき,慰謝料及び弁護士費用の合計330万円及びこれらに対する不法行為の日である平成17年3月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

1 争いのない事実等(以下,書証の枝番号は省略する。)
(1)原告は,京都大学大学院地球環境学堂の教授であり,平成13年度から平成15年度まで文部科学省特定領域研究班「内分泌撹乱化学物質の環境リスク」の代表を務めていた。
被告は,東京大学環境安全研究センター教授,横浜国立大学環境科学研究センター教授を経て,現在は,独立行政法人産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センターのセンター長を務めている。
(2)被告は,平成10年9月11日,「中西準子のホームページ」(http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/)(以下「本件ホームページ」という。)を開設して運営しており,平成17年3月7日時点における同ホームページヘのアクセス数は,累計80万人を超えている。
(3)被告は,平成16年12月15日から17日まで,名古屋において開催された環境省主催の「第7回内分泌撹乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」(以下「本件シンポジウム」という。)の第6セッション「リスクコミュニケーション」の座長を務め,原告は,同セッションにパネリストとして参加した。
 原告は,上記セッションにおいて,京都新聞の記事などをスライドで示して(甲8),意見発表を行った。
(4)被告は,平成16年12月24日,本件ホームページ上に,「雑感286−2004.12.24『環境省のシンポジウムを終わって一リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任一』」と題する記事(甲1。以下「本件記事」という。)を掲載し,その中で,「最初の情報発信に気をつけよう」という小見出しの下に,以下の記載を行った。
1)「パネリストの一人として参加していた,京都大学工学系研究科教授の松井三郎さんが,新聞記事のスライドを見せて,『次はナノです』と言ったのには驚いた。要するに環境ホルモンは終わった,今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である。」(以下「本件記載1)」という。)
2)「スライドに出た記事が,何新聞の記事かは分からなかったし,見出しも,よく分からなかった(私の後ろにスクリーンがあり)ナノ粒子の有害性のような記事だったが,詳しくは分からなかった(読みとれなかった)。…」,「その論文だと思ったのだが,帰宅して新聞記事検索をかけると,New York Timesなどには出てくるが,日本の一般紙には出ていない。したがって,別の論文の紹介のようである。その内容がどういうものかは分からないのだが,いずれにしろ,こういう研究結果を伝える時に,この原論文の問題点に触れてほしい。
 学者が,他の人に伝える時,新聞の記事そのままではおかしい。新聞にこう書いてあるが,自分はこう思うとか,新聞の通りだと思うとか,そういう情報発信こそすべきではないか。情報の第一報は大きな影響を与える,専門家や学者は,その際,新聞やTVの記事ではなく,自分で読んで伝えてほしい。でなければ,専門家でない。」(以下「本件記載2)」という。また,以下,本件記載1)及び2)を併せて,「本件各記載」という。)

2 争点及び当事者の主張
 本件の争点は,(1)本件記事は原告の名誉を毀損するか,(2)違法性阻却事由の有無,(3)原告による本訴提起は不当訴訟に当たるか,(4)名誉毀損による損害,(5)不当訴訟による損害である。
(1)争点(1)(本件記事は原告の名誉を毀損するか)
(原告)
 環境ホルモンのリスク認識をめぐっては,専門家の間で,環境ホルモン問題はさほど重要ではないという意見と,人類にとって看過できない重要な問題であるという意見とが激しく対立しており,被告は前者の立場に,原告は後者の立場に立っていた。
 本件ホームページの読者の多数は,この状況を知っており,これら一般の読者の普通の読み方を基準にして,前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると,本件記載1),2)は,それぞれ,

1) 環境ホルモン研究を推進し,そのリスクを主張してきた研究者であり,環境ホルモンのリスクコミュニケーションの失敗に責任のある学者の一人である原告が,本件シンポジウムにおいて,「環境ホルモン問題は終わった,今後社会が関心をもつべきテーマは,もはや環境ホルモンではなく,ナノ粒子の有害性である」との趣旨で,新聞記事のスライドを見せて「次はナノです」と発言したこと(以下「摘示事実1)」という。)
2) 原告は,本件シンポジウムにおいて,新聞記事のスライドを見せてナノ粒子の有害性について問題提起したが,その問題提起の仕方は,原論文も読まずに又は十分に吟味することなく,ただ新聞記事に書かれていることをそのまま主張するという,およそ専門家にあるまじき,いかにもお粗末なものであったこと(以下「摘示事実2)」という。)

を,事実として黙示的に摘示していると理解することができる。
 そして,摘示事実1)は,これまで,環境ホルモン研究を推進し,危険情報を発信・増幅してきた研究者である原告が,環境ホルモン研究に見切りをつけるや,「今後社会が関心を持つべきテーマは,もはや環境ホルモンではなく,ナノ粒子である」という趣旨の発言をして,環境ホルモン騒動の責任を取らないままに,新たな危険情報を発信しているという印象や,原告が研究対象を短期間で次々と変更する学者であるかのような印象を読者に与えるものであり,上記のとおり,環境ホルモンのリスク認識について,専門家の間で意見が対立している状況下において,環境ホルモン研究の第一人者である原告が環境ホルモン問題は重要ではないという立場に転じたかのような記載は,原告の研究者としての社会的評価を著しく低下させる。
 また,摘示事実2)は,原告によるプレゼンテーションの方法は,唐突かつお粗末なものであり,原告は研究者としての基本的資質に欠けているとの印象や,原告が原論文を読まずに新聞記事を鵜呑みにして情報を発信する学者であるかのような印象を読者に与えるものであり,原告の研究者としての社会的評価を著しく低下させるものである。
(被告)
本件記事は,主として,原告が,本件シンポジウムにおいて,それまで述べてきた環境ホルモン問題との関係性について一切論じることなく,何ら専門家としての判断を加えることもないままに,新聞記事を示し,ナノ粒子の有害性について問題提起したことについて,このようなプレゼンテーションの方法は,参加者に誤った印象を植え付ける危険性が高く,適切でないという批判を加えるものであり,原告の研究者としての社会的評価の低下をもたらすものではない。
 これに対し,原告は,被告が摘示事実1),2)を摘示して,原告の社会的評価を低下させたと主張するが,上記のとおり,本件記事は,原告のプレゼンテーションの方法に対する意見ないし論評であり,原告が環境ホルモンのリスクコミュニケーションの失敗に責任があるか,原告の関心が環境ホルモンからナノ粒子に移行したか,原告が実際に原論文を読み,吟味していたのかといった点を事実として摘示したものではない。
なお,仮に原告が主張するような事実摘示があったとしても,摘示事実1)から,原告が研究対象を短期間で次々と変更する学者であるという評価を導くことはできないし,そもそも,研究者が柔軟に問題に取り組み,研究テーマを変えるのは望ましいことであり,別のテーマに関心を持つということが研究者の社会的評価を低下させることはない。
(2)争点(2)(違法性阻却事由の有無)
(被告)
ア ある事実を基礎とした意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分において真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,違法性を欠く。
 本件において,被告は,1)原告が,本件シンポジウムにおいて,新聞記事のスライドを見せたこと,2)「次はナノです」という趣旨の発言をしたこと,3)新聞記事以外に原論文の指摘及びその問題点の指摘が欠落していたこと,4)新聞記事の記載に関する原告自身の研究者としての論評が欠落していたこと(以下「前提事実1)ないし4)」という。)を前提に,原告によるプレゼンテーションの方法に対し,批判的意見を述べたものであるところ,これらの前提事実が真実であることは明らかであり,意見ないし論評としても妥当なものであるから,名誉毀損は成立しない。
イ また,他人の研究発表の方法について,学問的見地から批判する権利は,憲法21条及び23条に基づき,最大限に保障されるべきであるから,被告が学者としての立場から,同じく学者である原告のプレゼンテーションの在り方を批判した本件記事は,名誉毀損とならない。
(原告)
ア 本件記事は,上記(1)で主張したとおり,事実を摘示したものであるが,仮に被告が主張するように,意見ないし論評であったとしても,「専門家や学者は,その際,新聞やTVの記事ではなく,自分で読んで伝えてほしい。でなければ,専門家でない。」などという酷評が,単に前提事実1)ないし4)のみを前提として導けるはずはなく,摘示事実1),2)が意見ないし論評の前提事実となることは明らかである。
 原告は,本件シンポジウムにおいて,主として環境ホルモン研究の成果と重要性について発表した上で,毒性機構が共通すると推定されるナノ粒子に言及したにすぎず,「環境ホルモン問題は終わった,今後社会が関心を持つべきテーマは,もはや環境ホルモンではなく,ナノ粒子である」という趣旨の発言は一切していないし,環境ホルモンのリスクコミュニケーションが失敗であったというのは,被告の決めつけにすぎないから,摘示事実1)は真実ではない。
 また,原告が新聞記事を示したのは,当時ナノ粒子の問題がクローズアップされていたという状況を示すためであり,ナノ粒子の有害性について問題提起をしたわけではないし,実際に,原告は原論文を読んで十分に検討を行っていたのであるから,摘示事実2)も真実ではない。
 そして,研究者である被告には,このような原告の発言の趣旨は容易に理解可能だったはずであり,その場で直接原告本人に確認することもできたのであるから,被告が誤った事実を真実と信じたことにつき相当の理由がある場合にも該当せず,違法性は阻却されない。
イ なお,被告は,本件記事が学問的批判の自由として保護されると主張するが,本件記事は,何ら事実確認を行うことなく,誤った事実に基づき,反論の余地がない個人のホームページ上において一方的に批判を加えるものであって,単なる誹謗中傷であるから,このような表現行為が学問的批判としての法的保護を受けることはない。
(3)争点(3)(原告による本訴提起は不当訴訟に当たるか)
(被告)
 原告は,本件シンポジウムにおいて,実際には環境ホルモンとナノ粒子の共通性について説明しなかったのに,事実を確認することなく,誤った記憶に基づいて本件本訴を提起したものである。また,原告の本訴提起の真の目的は,原告の名誉を回復することではなく,専ら環境ホルモン問題のリスク認識について原告と立場を異にする被告を攻撃することにあった。
 すなわち,原告は,主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くことを知り,あるいは容易に知り得たにもかかわらず,不当な目的に基づいて,あえて訴えを提起したといえるから,本件本訴は不当訴訟に該当し,不法行為となる。
(原告)
 原告は,被告の名誉毀損行為によって多大な被害を被ったにもかかわらず,被告が名誉回復措置を講じなかったため,本訴を提起したものであり,正当な目的に基づく訴えの提起である。
(4)争点(4)(名誉毀損による損害)について
(原告)
 本件ホームページには,環境ホルモンのリスク研究に関心を持つ研究者,行政官及び一般人が多数アクセスしているところ,同ホームページ上で名誉毀損が行われたことによって,環境ホルモン問題の代表的な研究者である原告は,多大な社会的,精神的損害を被った。
 上記損害を慰謝するためには,慰謝料300万円が相当であり,弁護士費用として,上記慰謝料額の1割である30万円が相当であるから,被告は,原告に対し,不法行為に基づき,上記合計330万円の損害賠償義務を負う。
 そして,原告の社会的評価を回復するためには,本件ホームページ及び原告が所属する日本内分泌撹乱化学物質学会の機関誌上に謝罪文を掲載させるのが相当である。
(被告)
争う。
(5)争点(5)(不当訴訟による損害)について
(被告)
被告は,原告による不当な本訴提起によって,相当の時間的,経済的負担を余儀なくされたことや,原告が本訴提起に当たり,プレスリリースまで行って,被告が事実に反してホームページ上で名誉毀損を行ったことを喧伝し,批判したことによって,多大な精神的損害を被ったものであり,これに対する慰謝料としては,300万円が相当である。
 また,不当な本件本訴に対する応訴及び本件反訴の弁護士費用として,30万円が相当であるから,原告は,被告に対し,不法行為に基づき,上記合計330万円の損害賠償義務を負う。
(原告)
 争う。


第3 争点に対する判断
1 争点(1)(本件記事は原告の名誉を毀損するか)について
(1)本件各記載につき,原告は,事実を摘示するものであると主張し,被告は,意見ないし論評であると主張するが,名誉毀損は,問題とされる表現が,人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば,これが事実を摘示するものであるか,又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず,成立し得るものであるから,まず本件各記載から一般人が受ける印象及びこれが原告の社会的評価を低下させるかどうかについて検討する。
(2)上記争いのない事実等に証拠(甲1,11,15,17,乙8,9,11,原告,被告各本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 本件ホームページの性質
 被告は,専門家は自分の研究成果を社会に発表すると共に,他人の発した誤った情報を批判する義務を有すると考えており,平成10年4月ころ,本名で本件ホームページを開設し,「雑感」と題して,週に1回程度,「環境省頑張れ!神栖井戸水ヒ素汚染」(平成17年4月12日付け),「アスベストで中皮腫患者」(同年7月5日付け),「ドイツでのデポジット制度の動き」(同年8月3日付け)などの表題を掲げ,環境問題にかかわる被告の考え方,行政施策や他の研究者の意見に対する批判,研究者や大学の在り方など種々の話題事項について,自己の見解を発表している。
 本件ホームページは,研究者,技術者,ジャーナリスト,行政官,政治家,学生など専門家だけでなく,一般市民によっても閲覧されており,週に8000件程度のアクセスがある。
イ リスクコミュニケーション
 リスクコミュニケーションとは,一般人,事業者,行政,NGOなどの利害関係者の間で,リスクについての情報や意見を交換することであり,互いの情報を共有し,意見や価値観を理解することを目指すものである。
ウ 本件記事の構成
 本件記事は,「環境省のシンポジウムを終わって一リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任一」という表題のもと,最初に,「影響の大きさをできるだけ正確に伝えるのがまず第1に必要」という小見出しを掲げ,被告は,本件シンポジウムにおいて,環境ホルモン問題のリスクコミュニケーションの功罪をきちんと整理すべき時に来ていること及びリスクコミュニケーションにおける学者のスタンスや責任をきちんと考えようということを強調しようとしたものであり,被告自身,セッションの冒頭で,学者は最初にリスクについての情報を発信する者として最も責任ある立場にあるのだから,リスクの大きさや出現時期などについても研究し,説明すべきであるという問題提起をしたことが記載されている。
 続いて,「誰が,影響の大きさを判断すべきか?」,「環境ホルモン問題では,企業も被害者と言っていい場面があった。その責任はとらなくていいのか?」,「如何に間違った情報が流されたか?」などの小見出しのもと,本件シンポジウムにおけるパネリストの意見や会場の反応に触れつつ,研究者自身がリスクの大きさの判断をすべきであること,環境ホルモン問題においては,誤ったリスク情報によって不買運動が起きた結果,企業が被害を被っており,学者らはその責任を取るべきであること,環境ホルモン問題においては,最初に学者から誤った情報が発信され,それが市民の間に浸透して,市民が今もそこから抜け出せずにいることなどが述べられている。
 そして,「最初の情報発信に気をつけよう」という小見出しのもと,本件各記載が為り,その後,「もう1つ気になることがある。」として,大学が開催する市民講座等において,講師が,原論文を読むことなく,新聞や本に掲載された論文をそのまま教材としていることが多いが,これは専門家としての責任を放棄するものであり,必ず原論文を読むべきである旨の記載がある。
(3)ところで,ある特定の記事中の記載が,人の社会的評価を低下させ,名誉毀損となるかについては,当該記載の文言だけではなく,表現方法並びに記事全体の構成,内容,趣旨及び目的等を総合的に検討した上で,一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきである。
ア そこで,本件各記載について検討すると,上記認定事実によれば,本件記事は,被告が,専門家としての意見を発表するため個人的に開設し,日ごろから環境問題や研究者の在り方について意見を発表している場である本件ホームページ上に掲載されたものであること,本件記事の構成は,本件シンポジウムにおける会場での議論に絡めつつ,自己の意見を論じるというものであったこと,本件記事は,環境ホルモン問題におけるリスクコミュニケーションは失敗であったという被告の認識に基づいて,このような失敗を繰り返さないため学者は情報の発信に責任を持つべきである旨を全体として述べていることがそれぞれ認められるところ,本件記事の趣旨及び目的は,「環境省のシンポジウムを終わって−リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任−」という表題が示すとおり,リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任を論じることにあると認めることができる。
 そうすると,一般の読者は,本件記事を,リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任について被告個人の意見を発表したものとして受け止めると認められるから,本件記事中に原告に対して否定的評価を加える記載部分が含まれていたとしても,これが直ちに原告の社会的評価を低下させるとすることはできない。
イ 以上を前提に,本件記載1)を一般の読者の普通の注意と読み方を基準として読むと,同記載は,原告が環境ホルモン問題は終わったと考えてナノ粒子に関心を移し,新聞記事を示して,「次はナノです」という趣旨の発言をしたという印象を読者に与えるものであるということができるけれども,それ以上に,原告が環境ホルモン騒動の責任を取らないままに,新たな危険情報を発信しているという印象や,原告が研究対象を次々と変更する学者であるかのような印象を与えるものではない。
 また,一般的に言って,このような印象は,原告に対する否定的評価を含むものではないから,本件記載1)が直ちに原告の社会的評価に影響を及ぼすものでもないことは明らかである。
 これに対し,原告は,環境ホルモン問題のリスク認識をめぐって専門家の間で意見対立が存在する状況下においては,環境ホルモン研究の第一人者である原告が環境ホルモン問題は重要ではないという立場に転じたかのような内容の記載は,原告の社会的地位を低下させるものであると主張する。
 しかし,本件記事全体を見ても,環境ホルモン問題のリスク認識をめぐって,専門家の間で意見対立があることや,原告が環境ホルモン研究の第一人者であることを述べた部分はなく,このような事実を一般の読者が認識していることを当然の前提とする原告の主張は採用することができない。
ウ(ア)次に,本件記載2)を同様の読み方で読むと,同記載は,まず原告について記述し,原告は本件シンポジウムにおいてナノ粒子の有害性について新聞記事を示して発表したが,その際,原論文を読んだ上での自分の意見を加えなかったものであり,このようなプレゼンテーションの仕方は学者として不適切であったという印象を与えると共に,「学者が,他の人に伝える時,新聞の記事そのままではおかしい。」という箇所以降の記載において,学者が情報発信する際には,新聞記事のとおりではなく,原論文を読んで自分の意見を伝えるべきである旨を述べるものである。
(イ)そうすると,本件記載2)のうち原告に関する記述部分は,原告を批判するものであるといえるから,一般の読者が原告について否定的な印象を受けることは否定できない。
 しかしながら,上記本件記事の趣旨及び目的等に照らせば,本件記載2)もまた,学者が情報発信する際には,新聞記事のとおりではなく,原論文を読んで自分の意見を伝えるべきであるとして,リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任を論じることを主目的とした文章であり,原告に関する記述部分は,被告が自己の見解に基づき,リスクコミュニケーションに問題がある一事例として挙げたにとどまるものとみることができ,同部分が本件記事の中心的な記述ではないことは明らかである。
また,原告が本件シンポジウムにおいて発表する際に,原論文を読んだ上で自分の意見を加えなかったということ自体は,必ずしも原告の社会的評価を低下させるものではなく,リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任について,被告の意見に従って本件記事を読み進めていくことによって,初めて原告に対する否定的な評価が導かれるにすぎない。
 以上によれば,本件記載2)が原告について否定的な印象を与えるものであることは否めないものの,これによる原告の社会的評価に対する影響は極めて限られたものであり,原告の名誉を毀損するほどに原告の社会的評価を低下させたとまではいえないものである。
(ウ)これに対し,原告は,本件記載2)は,原告が研究者としての基本的資質に欠けるとの印象や,原論文を読まずに新聞記事を鵜呑みにして情報を発信する学者であるかのような印象を読者に与えると主張するが,本件記載2)が批判の対象としているのは,あくまで本件シンポジウムにおける特定のプレゼンテーションの在り方であり,原告の研究者としての資質を批判するものではなく(なお,同記載中には,「でなければ,専門家でない。」という断定的な表現が用いられていて措辞穏当とはいえないが,上記記載のとおり,学者が情報発信する際には,新聞記事のとおりではなく,原論文を読んで自分の意見を伝えるべきであるという趣旨で,あくまで学者の発表方法についての一般論として記載されたと認めるのが相当であり,これを原告のみに対する非難であるとすることはできない。),本件記載2)が,原告が新聞記事を示した際に原論文を読んだ上で自分の意見を加えなかったということを超えて,原告が新聞記事を鵜呑みにしたという印象までも与えるということはできないから,原告の上記主張は失当である。
 以上のとおり,本件各記載によって,原告の研究者としての社会的評価は低下しないか,仮に低下したとしても,その程度は軽微なものであり,名誉毀損を構成するには至っておらず,被告について,名誉毀損による不法行為は成立しないものというべきである。
 したがって,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。

2 争点(3)(原告による本訴提起は不当訴訟に当たるか)について
(1)法的紛争の当事者がその終局的解決を求めて裁判所に訴えを提起することは国民の重要な権利であるから,単にその訴訟において敗訴したからといって訴えの提起が不法行為に該当するわけではなく,これが不法行為となるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くときに限られるものと解され る。
 そこで,本件本訴の提起について,不法行為の成否を検討する。
(2)上記争いのない事実等に証拠(甲1ないし9,22,23,乙1ないし5,11,12,原告,被告各本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,本件紛争の経緯について,以下の事実が認められる。
ア 環境ホルモン問題については,平成10年5月ころ,環境庁(当時)が「SPEED’98」を出した頃から,その有害性が社会的に注目されるようになり,文部科学省が環境ホルモン研究を推進するなど,国家的に環境ホルモン対策が採られ,新聞やテレビでも盛んに報道されていた。
その後,被告を始めとする一部の学者や産業界等から,環境ホルモンの有害性に疑問が寄せられるようになり,環境省の環境ホルモン問題に対する重大性の認識も後退していったが,原告は,環境ホルモンにはいまだ未解明な問題が多く,引き続き研究を続けていく必要が高いと考えていた。
そこで,原告は,本件シンポジウムに参加するに当たり,議長である被告が,環境ホルモン騒動は空騒ぎであったという論調で議論をまとめることを懸念し,本件シンポジウムにおいて,自身の研究結果から得たダイオキシンの毒性メカニズムの一端についての知見(ダイオキシンが,人の体内に入ると,本来はインディルビン,インディゴと結合するための受容体であるはずのAhリセプターに結合し,そのまま排出されることなく細胞内にとどまり,多くの遺伝子を動かし続けるというもの。)を発表し,環境ホルモン研究の重要性を伝えようと考えて,本件シンポジウムに臨んだ。
イ 本件シンポジウムの当日,原告は,上記毒性メカニズムについて説明した後,ナノ粒子の問題に言及し,解毒機構を持たないという点で環境ホルモンと共通性を有しており,ナノ粒子の問題に環境ホルモン研究の成果を生かすことができるのではないかとして,環境ホルモン研究の重要性を更に強調しようとした。
しかし,この際,原告は,ナノ粒子の有害性を報じる新聞記事を示し,「私は次のチャレンジはこのナノ粒子だと思っています。」,「ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。我々はこのナノ粒子の問題にこれからどのように対応できるかが一つのチャレンジだと思っています。」などと発言したのみで,実際には,環境ホルモンとナノ粒子とが共通性を有しており,ナノ粒子の問題に環境ホルモン研究の成果を生かすことができると考えられるなどの詳細な説明は行われず,ナノ粒子と環境ホルモンとの関係性までは示されなかった。
ウ その後,原告は,平成17年1月17日ころ,知人から本件記事の存在を聞かされて,同記事を読んだところ,事実と異なった記載があり,名誉を毀損されたと感じたため,被告に対し,抗議のメールを送った。
 これに対し,被告は,平成17年1月20日付けで,本件ホームページ上に,「謝罪」との表題で,本件記事に対する抗議を受けたことや,自らに非があると考えており,再度検討して自分の考えを発表するつもりであることを記載して,本件記事を削除すると共に,原告に対し,後日落ち着いてから再び返事をする旨をメールで伝えた。ところが,本件ホームページ上に,本件記事を削除した理由や詳しい経緯については記載されていなかったため,原告は,いまだ名誉回復はされていないと考え,被告からの応答を待つことにした。
 原告は,平成17年3月15日,被告からメールを受け取ったが,その内容は,原告が示した新聞記事が手に入らないため,ファックスしてほしいという程度にとどまっていたため,もはや被告が原告の名誉回復措置を採るつもりはないものと考え,同月16日,本件本訴を提起した。
(3)上記認定した本件紛争の経緯及び弁論の全趣旨によれば,原告は,環境ホルモン問題には未解明な問題が多く,引き続き研究を続けていく必要性が高いと考えていたこと,本件シンポジウムにおいて,ナノ粒子に言及したのは,環境ホルモンとの共通性を説明することにより環境ホルモン研究の重要性を強調するためであったこと,環境ホルモン問題は終わったという趣旨の発言はしていないことがそれぞれ認められる。
 しかしながら,本件記載1)は,上記記載のとおり,原告が環境ホルモン問題は終わったと考えてナノ粒子に関心を移したという印象を与えるものであるから,原告が実際には環境ホルモン問題を重大視しており,引き続き環境ホルモン研究を続けていく必要性が高いと考えていたことに反する内容となっていることが明らかである。
 また,本件記載2)は,上記記載のとおり,原告を含め,研究者の発表の在り方を批判するものであり,読者に対し,多少なりとも原告についての否定的な印象を与えるものであるから,本件各記載によって名誉を毀損されたという原告の主張には相当の理由があるものというべきである。
 そして,原告が本件本訴を提起するに至ったのは,原告が本件各記載によって名誉を毀損されたと受け止め,被告に対し,名誉回復の措置を求めるためであったことは上記認定のとおりであるから,原告による本件本訴の提起は,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであったとまでいうことはできない。
 さらに,被告は,本件本訴提起の目的は,名誉を回復することではなく,専ら環境ホルモン問題のリスク認識について,原告と立場を異にする被告を攻撃することにあったと主張し,証拠(乙6)によれば,原告が本件本訴を提起したのは,自己の名誉回復を求めるのみならず,環境ホルモン問題は終わったという被告の誤った考えを看過できないためであるとプレスリリースで発表したことが認められるが,このことから直ちに本件本訴提起の目的が専ら被告を攻撃することにあったとすることはできず,他に被告の主張が事実であると認めるに足りる証拠はない。
 そうすると,原告による本件本訴の提起について不法行為は成立しないものというべきである。
したがって,被告の反訴請求は,その余の点を判断するまでもなく理由がない。


第4 結論
 以上のとおり,原告の本訴請求及び被告の反訴請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとして,主文のとおり判決する。
     横浜地方裁判所第9民事部
裁判長裁判官 土屋 文昭
裁判官 一木 文智
裁判官 神原 文美

(別紙1)
謝 罪 文

 2004年12月24日付雑感286「環境省のシンポジウムを終わって−リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任」の記事において、京都大学教授松井三郎氏に関する記載をしたところ、松井教授から後記のような抗議がありました。抗議は、いずれももっともであり、私が事実を確認せず、松井氏の名誉を著しく毀損し多大な迷惑をおかけしたことを深く反省しております。
 よって、ここに心から深くお詫び申し上げます。
          年   月   日
中西準子
 松井三郎殿
                  記
<松井氏の抗議文>
1) HPの記載「パネリストの一人として参加していた、京都大学工学系研究科教授の松井三郎さんが、新聞記事のスライドを見せて、「つぎはナノです」と言ったのには驚いた。要するに環境ホルモンは終わった、今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である。」

←松井氏からの抗議:私はこのような趣旨でナノ粒子のことを指摘した訳ではありません。私の15分間のプレゼンテーションを、あなたは頭から聞かずに、無視をしていたのですか?私のプレゼンテーションは以下の流れです。
 この3年間で急速に進歩した、遺伝子マイクロアレーの技術は、ヒトの遺伝子=約28,500強が活性化、抑制化、中立という理解で、評価できる事になったことを紹介した後、ダイオキシン=TCDDの遺伝子レベルでの有害性を解明するよき参照として、人の尿中に存在するインデイルビンと比較した紹介をしました。この時、なぜ人尿に意味があるかは、下水道、合併浄化槽(あなたが推薦している)に問題があることを指摘し、説明しました。TCDDとインデイルビンは、ヒト肝臓癌細胞の1176個の主要遺伝子の動きを比較した結果、殆ど同じ種類の遺伝子を同じように活性化していることを解明したと説明しました。そのことから、有害性の真の原因は、TCDDが細胞から排除されにくく、インデイルビンはCYP lA1等の酵素誘導で酸化を受けさらに硫酸抱合体等になって、細胞外、人尿中に排泄されやすいことを指摘しました。
 次にTCDDの代わりに発癌性が明確なベンゾ(a)ピレンを使い、AhR(多環芳香族受容体=ダイオキシン受容体)に受容されたベンゾ(a)ピレンが、どのような機構で動き(環境ホルモンと発癌性の関係性の明確な説明)、受容体から離れた後に酸化、還元を受け、その間、スーパーオキシドを誘導し酸化態遺伝子付加体を形成し、遺伝子損傷の原因となるかという重要な説明をしました。あなたが、研究している発癌リスクの根本機構を説明したわけです。そして、TCDDは細胞から排除されにくい間に、遺伝子を過剰に動かし、CYPl A1、CYP19等ステロイドから女性ホルモン生成に関係する遺伝子が過剰に動く危険性を指摘しました。
 その次にナノ粒子を指摘しましたが、ナノ粒子フラーレンについては、AhR(多環芳香族受容体=ダイオキシン受容体)で認識されないなら、一度細胞内に侵入すると細胞外に排除される機構が存在しない危険性を指摘したのであって、決してあなたが書かれたような発言はしていません。

2) HPの記載「スライドに出た記事が、何新聞の記事かは分からなかったし、見出しも、よく分からなかった(私の後ろにスクリーンがあり)ナノ粒子の有害性のような記事だったが、詳しくは分からなかった(読みとれなかった)。」

←松井氏からの抗議:私がスライドで示したのは、京都新聞の2004年8月28日夕刊のトップ記事です。ナノ粒子について述べているのは、前述のとおり、環境ホルモンの研究成果からナノ粒子の危険性が疑われるので、研究する必要があると説明したものです。なお、ナノ粒子の問題は、2年前に既に京都大学のナノ粒子を癌治療に役立てる研究をしておられた教授とも相談しました。現在、ナノ粒子が細胞外に排出される機構を研究している研究者は、日本でおられません。

3) HPの記載「学者が、他の人に伝える時、新聞の記事そのままではおかしい。新聞にこう書いてあるが、自分はこう思うとか、新聞の通りだと思うとか、そういう情報発信こそすべきではないか。情報の第一報は大きな影響を与える、専門家や学者は、その際新聞やTVの記事ではなく、自分で読んで伝えてほしい。でなければ、専門家でない。」

←松井氏からの抗議:前述のとおり、私はあなたの目の前で、私の研究室で独自に解明したダイオキシンに関係する研究結果を、詳しく説明しました。決して新聞記事をそのまま伝えたわけではありません。あなたこそ、人のプレゼンテーションをよく聞いてから、意見を述べるべきではありませ