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乙5号証の2

乙5号証の2(被告・反訴原告:中西氏提出書類)

本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。

 国際シンポジウム当日の発表内容のテープから、文章を起こしたもの。中西氏と、京都大学の内山氏が座長を務めた。乙5号証の2として提出されたものには、他の参加者の発言が含まれているが、訴訟に関係した部分を選んで公開する。
【2005/11/25】2005/11/17に原告から提出された上申書で、何カ所か語句の誤りが指摘されたので、その部分を見え消しで修正。アンダーラインは抜けていた部分の追加。


2004年12月17日 リスクコミュニケーションシンポ

——それでは、中西先生、内山先生おねがいいたします。

中西—— それでは、このセッションを始めます。座長の一人として最初にちょっとご挨拶をして、その後すぐに内山先生にお渡しします。私自身は、環境ホルモンやダイオキシンなど内分泌攪乱化学物質に関してそれほど詳しい人間ではありませんし、この国際会議も今日が初めてです。しかし、リスクコミュニケーションという演題のセッションの座長を引き受けましたのは、リスク評価ということを勉強しておりまして、内分泌攪乱化学物質の問題がある程度清算というか、リスクとしてどれくらいの大きさだったのかとか総括する時期に入ってきたのではないかと、そういう仕事なら出来るのではと考え、この会議に参加することにしました。この内分泌攪乱化学物質問題というのは、日本中を沸かせ、なおかつすごい大きな投資、国だけでなく事業者からの投資も大きかったと思います。そういう意味で、リスクコミュニケーションが良かったかどうかということは非常に大きな問題であり、国民的なレベルで総括が行われなければいけないと考えています。

 私個人としては、かなり大きな失敗があったケースと考えなければいけないと思っています。私は研究者の立場で考えますと、やはり研究者が自分の研究したことを発表していくときに、国民、一般の人に対して発表するときには、危険の大きさ、ほかのリスクとの比較、どのくらいの大きさの危険かということを一緒に発表する義務があると考えます。今までの科学ではそういうことは出来ないし、科学者は出来なくてよかった。しかし、これからは、そういうことが出来なくてはいけないのではないか、科学者の基礎教養として、自分の研究はどういう社会的影響を与えるかということを、常に考えながら研究もし発表もしていくんだと、そういうことを教えてくれている気がします。

 今回、リスクコミュニケーションのセッションの企画をまかせていただく段階で、従来研究してきた方々に加えて、ジャーナリストの方、日垣さん山形さんのお二人に来ていただきました。これは非常に珍しい人選だと思うんですが、やはり、常にリスクが有るとか無いとか発表しながらお仕事をしておられる方の緊張感というものを、もっとリスクコミュニケーションを研究する側が受け止めたほうがいいのではないかと、そういう考えで、ぜひともと思い来て頂きました。お二人がこれからも来て頂けるということはないということも考えて、なるべく私の方では希望を申し上げないで、自由に発言してください、その言葉を私たちは受け止めたいと思い企画しました。それでは内山先生へバトンタッチいたします。

(内山さんのプレゼン)
(木下さんのプレゼン)
(吉川さんのプレゼン)
(山形さんのプレゼン)

内山—— それでは続きまして、京都大学の松井三郎先生から「消費者、製造業者、行政、科学者の間で、産業によって製造された内分泌攪乱物質のリスクコミュニケーション」よろしくお願いします。

松井—— これからお見せするスライドは、コミュニケーションの話より、コミュニケーションすべき内容でどういう問題があるのかということをまず話して、このあとの第二ラウンド、あるいは中西先生の司会される討論で、コミュニケーションの話について説明します。一昨日から昨日今日とこの会場で大変重要な研究発表がありました。一昨日の市民向けの討論会で大変奇妙な発言、私も傍観した発言が多かったです。とりわけ環境省の環境安全課長をされている上家さんの発言を印象深く聞いたのですが、speed98というプロジェクトをやって、一番大きな結論はなんですかという、NHK解説員の室山さんの質問に対する答えだったんですが、国家的なプロジェクトをやってわかったことは、わからないことが沢山あることがわかったと、私はこの表現は実に的を得ていると思ったんです。

それは私も国家プロジェクトの一つである、文部科学省の特定領域の大きな研究を代表させていただき、全国の先生方と一緒に研究してきましたけど、私自身同感で内分泌かく乱物質問題というのは、わからないことがいかに多いかということがわかった。しかし、よく考えると、どういう意味をもっているかということですが、数年前に初めて人類の遺伝子全体が解読できたんですが、そのことが、今までわからなかったことがわかるようになる大きな転機だと思います。

この内分泌かく乱物質の研究に入った中でも、例えば、こういうマイクロアレイという研究手段を我々は獲得したんです。これを獲得したことにより、この一点一点が動いている遺伝子だと、この情報が多量の情報が出てくるわけです。この情報をどうやって解読するかが大変なことなんです。

しかし、もう一方で、環境汚染というのは極めて複雑な状況で、複雑な情報が走り回っていて、その複雑な情報を十分処理できない段階で、例えばマイクロアレイという新たな情報発信する手段が出来上がる。この中に我々は入ってたじろいでいるわけですが、しかし、見方を変えると、この手法は非常に有効だと、例えば今日黒田先生がこの点をご指摘なさったように、私は最重要な情報獲得手段ができたと思っています。この情報手段からどういうことが見えてきたかというと、結局これはですね、子宮が大きくなっているということ、これだけしか見ていないんですけれども、本来もっているエストロジェンとか、ノニルフェノールとかビスフェノールとか要するに環境ホルモンとして疑っている物質を与えます。そうすると発する信号が、遺伝子が発現したり、遺伝子がニュートラルになるとか、あるいは逆に押さえ込まれるとか、これだけの情報が動いているわけです。この情報は時々刻々とおなかの中で動いていくわけですから、ダイナミックな情報がどんどん出てくる。これをどうやって解釈したらいいのかという問題に直面してしまったわけです。

なおかつ、よく見ると、本来女性ホルモンでもっている遺伝子はこういう領域です。それに対して合成ホルモンは、こういう領域で動いている。ビスフェノールはこうですよ、ノニルフェノールはこうですよ。ですから、この部分では確かに女性ホルモン様として働いていますが、それ以外のところでもこういう化学物質は働きをする。つまり多面性をもっていて、女性ホルモンの攪乱というそのエンドポイントだけでは実は評価できないというのも持っています。これが実は現実なんです。我々の思考にある、原因があって結果という、cause and effect というこの考え方は、西洋哲学が見出してきた考え方であって、それが西洋において近代科学が発達した重要な思考法なんですね。

それに対して、東洋ではcause and effectあるいはdose-responseこういう哲学を持ってこれなかったんですね。これが哲学的な流れから言うと、東洋が自然科学の発展が遅れたという一つです。しかし、そうはいっても面白いことに仏教の言葉で、因果関係という言葉を使っているわけです。実は仏教の因果という言葉を我々日本人はそのまま科学用語で原因と結果というふうに言ったわけです。

———— テープ裏面へ ————

そうしますと、結果というのは色んな方向に行くわけですから、原因があって結果と簡単には行かないんです。こういう思考方法を考えさせられるきっかけが、今回の環境ホルモンの研究だったわけです。

ちょっと変な情報ですが、これは新しいタイプのトイレで尿と便を分離するトイレなんですね。なぜこんなものを出したかというと、現在の地球環境を汚染している色々な化学物質は、基本的には下水道を通過して出てしまっているんです。99%も下水道整備しますと、工場廃水のほとんどが下水道に入っているわけです。下水道が中間地点になって科学物質が出てしまうという問題と、富栄養化の問題。窒素リンという農業と食料の問題、人口を支える食糧の問題。これが富栄養化として水に入ります。これが、バルト海や五大湖とか琵琶湖などを汚染している。こういう根本問題を抱えています。その根本問題を解決するために考え出したのが、このし尿分離のトイレなんです。これを私は重要な思考方法を変えるパラダイム変換といっています。19世紀型の下水道を変えようという。日本で特に発達した合併浄化槽、これも根本的に間違いなんですが、こういうものを考え出す非常に大きなきっかけなんですが、これが実はわたしの研究の契機になりまして、尿中にダイオキシンがあるだろうと思って調べていったら、尿中にダイオキシンが出てこなかった。出てきたのは、とんでもないというか、このピンクのゾーンについてAhRレセプターで計ってみたら、ものすごく強いbinding assay※を持っているわけですね。

それはなにかというと、このインディルビンあるいはインディゴであったわけです。藍染めの染料、自然の染料です。こういうものを人間が人体で作ってしまうということがわかったわけです。そうすると次にbinding assayしてみると、インディゴとダイオキシンがほぼ同じbinding assayで、インディルビンはその50倍の強いbinding assayをもっています。いったいどうなのか、ダイオキシンより強いなら、ひょっとしてダイオキシンに打ち勝ってダイオキシンに対する中和性をもっているのかという発想になるのですが、実はそうではない。

これはさらにCYP1Aを動かす中で絞り込んでみたんですが、ここに1ピコモル10ピコモル100ピコモルという、この低濃度では、実はCYP1Aを動かしているのはインディルビンのほうがはるかに強く動かしている。100ピコモルで交差が始まって、ダイオキシンが一気に主要な段階を果たす。ということが見えてきます。通常のダイオキシンの汚染レベルでは、ほとんどインディルビンが動かしているから、ダイオキシンはメジャーの役割を果たしていないということがわかります。このときの濃度が10pMでは残っていなくて、100pMでは間違いなくダイオキシンがオーバーラインです。このへんが先ほどの黒田先生の水酸化PCBのあれは大体100ピコモルあたりで確実に影響を及ぼしているという、同じ濃度レベルだという話ですね。そのように調べてまいりますと、インディルビンとTCDDとほとんど同じ領域の遺伝子を動かしている。いったいどこに毒性の差があるのかということになってきたんですけど、TCDDはなかなか体内から出て行かない、しかし、インデルディンはすみやかにOHラジカル、CYPが動いてそれ自身がインディルビンに作用してOH基が勝つことによって、その次にサルフェイという芳香体が出来てすぐにおしっこから出てくる。その差に大きな点が出てきたわけです。

さらにこの研究を進めてまいりますと、中国の漢方で慢性の白血病に昔から灰を飲んでいたんです。なぜ効くのかはわかってなかったんですが、大変面白いことがわかってまいりまして、つまりインディルビンというのが動いている遺伝子というのがこれ以外にも沢山あって、さらに漢方薬との関係を突き詰めていくと、たとえばTNFαという別の情報遺伝子ですが、これを一緒にdoseしますと、まったく相乗効果が出まして、細胞の周期で細胞のG2のフェーズを停止することがわかってきて、それがどうも白血病への効果がわかってきたわけです。

人工的な化学物質の問題を研究してきたはずだったのに、難易性内因性の問題unknownがいっぱいあるということがわかってきたわけです。このように環境ホルモンの研究というのは、人工的化学物質の問題を提起しながら、実は、いままでわかっていなかった生命の秘密が同時に理解されてきています。

この図は付け足しになって恐縮ですが、大竹先生のグループが発見された重要な研究成果で、ダイオキシンというのはE2がbinding siteにダイオキシンがlong siteと別々なんですが、ダイオキシンはHRがくっついたやつがE2サイトをハイジャックして動かすという、こういう全くわけのわからないものが発見されたのです。まだまだ我々は生命の秘密がわかってないのです。

この図は、Benzo(a)pyreneの酵素誘導というものとDNA損傷すなわちガンですね、関係ないのかというと関係あるわけですね。Burczynskiの論文を私たちの研究室で改編しましたけど、AhRというダイオキシンと同じレセプターをもつ、ベンゾピレン、大気汚染、たばこの最も主要な発ガン性物質ですが、どのように動いているかという模式図なんですが、ここに書いてありますようにCYP1A1酸化系の酵素がいっぱい動きます。そうするとベンゾピレンはいろんな修飾※をうけます。あるいは還元酵素が動いて、そのことによって還元されたものがまた酸化される、この酸化過程で出来たsuper oxideが横の遺伝子を傷つける、あるいは基本体キノン体※になって基本体キノン体自身がそのまま遺伝子と結合する。このようなはだかのベンゾピレンは酸化還元の過程で発ガン過程へも動いている。

ところがダイオキシンはこのサイトでどこにもくっつくところがないんですね。CYP1A以下をどんどん動かすのですが、これ自身はなんら変化をうけない。そのかわりどこかのCYP1系統をじゃましている。その一つがCYP19aという女性ホルモンから男性ホルモンという過程を異常に動かしてしまってトラブルをおこす。このようにわかっていないことが沢山ある。先ほど中西先生がおっしゃっいましたが、コミュニケーションがへたであったわけです。実は、我々がやっていたことは、生命の本質そのものがわからなかったことが同時にわかってきた。それほど難しい問題に直面していたわけです。

もう一つ、最後になりますけど、我々は予防的にどうやって次の問題に比べるのか、今回学んだ環境ホルモンの研究はどうやって生かせるのか。私は次のチャレンジはナノ粒子だと思っています。ご存知のようにナノテクノロジーがこれからどんどん進展します。私はそのこと自身は非常に重要と思います。人類が地球上で生存するために大変重要な技術とおもいます。しかし、ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。我々はこのナノ粒子の問題にどのように対応できるかが一つのチャレンジだと思っています。時間が来たのでここまでにします。

内山—— ありがとうございます。後半での第二ラウンドにコミュニケーションのことをお話いただけるということでしたので、お願いします。最後に日垣隆先生です。日垣先生は作家、ジャーナリストとしてご活躍です。環境リスクとジャーナリズムの問題点ということでお願いします。

(日垣さんのプレゼン)
内山さんの司会で発表者質疑応答開始。
(吉川さんの発言)
(山形さんの発言)

松井—— 吉川先生のご質問、山形さんの問題提起、それぞれ重要な問題でして、科学者がどれだけ対応できて、一般の人に重要な情報を出せるかということにかかってくるわけですね。その作業はまだ出来ていません。研究が終わったばかりの段階なので、これからです。

そのときに、山形さんや日垣さんのお話を聞かせていただいて、どこに私どもと食い違いがあるかなと、そこをクリアにしておきたいのですが、一般の人たちは化学物質が有害であるときに毒という言葉を使います。毒という言葉の一般の人たちの認識はすなわち死なんです。

ところが、環境ホルモンの研究者は有害性イコール死とは考えてなかったんです。我々が問題視してきたのは、受精がうまくいくかどうかです。あるいは誕生するまでの間や成長化程でどうなっているかということです。大人になって男女が十分な生殖活動が出来るかどうかです。それから、更年期障害、老化、死ですね。死という点で見る見方に対して、環境ホルモンの問題というのは、受精から全体の問題にしたわけです。

そうすると、リスク計算の仕方が、死とは違った計算の仕方になるわけです。それが出来なかったというのが現実だと思います。科学者がやらなければならない大変重要な宿題だと思います。

わからないものが沢山あったということのもう一つは、我々は、人の健康を一方でみながら、もう一方で人以外の生物もみている。例えば、今まで製薬会社が薬を開発するときに、ラット、マウスを使って実験をやってこの結果を外挿して人間にやった。そのやりかたがおかしいというのが環境ホルモンの研究でわかってきたわけです。なぜかというと、ラット、マウスの遺伝子と人間の遺伝子は明らかに構造が違う。レセプターも感度が全く違うわけです。ラット、マウスの実験だけで薬の開発にはならないだろうと。

もう一つは、薬という大事な問題ではなく、いわゆる工業製品で大量に汚染になるわけです。これに関する試験方法がいままで荒っぽかった。環境ホルモンとかでは、もっと正確な検査ができる、そうすると事前にもっとスクリーニングできる。こういったものが一斉に見えてきたのが環境ホルモンの研究の大きな成果なんです。

言い方を変えますと、日本というのは、イタイイタイ病、水俣病、カネミ油症という三つの大きな近代科学によるところの、恩恵ではなくネガティブなことを受けた国民です。これは西洋社会では十分わかっている。西洋社会の私たちがお付き合いする科学者が、どういう言い方をするかというと、日本の科学者がそれだけひどい状況をどれだけ科学的に明らかにしましたか、ということなんです。これは非常につらいです。水俣病、イタイイタイ病も、その当時科学者は追及しましたが、結局、十分に解決できずに、ごく少数の先生方がねばり強く現在まで研究を続けている。

しかし、その研究書は今になってみると足らない。なぜなら、分子レベル、遺伝子のレベルまで来て初めて問題が見えてきた。このチャンスにもう一段階進めて研究をすれば、トラウマになっている、水俣病、イタイイタイ病、PCBがもっと明らかになる。そうすれば、日本の化学産業にプラスになるでしょうと思っているわけです。

もう一つ、これは面白い表現なんですが、横に化学物質の影響の実態があり、縦は科学者が実験と科学証明をどうやったかの関係が示されています。科学者が実験をやって無害という判定をしています。これは、実態は確かに無害です。ところが科学証明で無害といったのにリアリティーにおいて実はharmfulであった。こういうケースを、false-negativeというのです。それに対して、科学研究でharmfulとみつけた、しかし実態はたいしたことなかった、こういう場合はfalse-positiveというのです。問題はどちらをどのように対応するかということです。科学者にはエラータイプ1、false-positiveが多いのです。先ほどから批判されているのは、false-positive大げさに表現しすぎということです。

しかし、科学者としては出来るだけ危険というのを事前に報告するほうが、間違いであってもよい。それに対して、false-negativeになると致命的なことになるわけです。特に行政がこれをやると致命的になる。残念ながら日本の行政の歴史は、どちらかというとfalse-negativeで来てしまったのです。このトラウマがあるので、国民が行政に対して信用しない。行政と企業が一体化する、となってしまうわけです。

しかし、本当は行政と企業は違う立場であって、企業と消費者がそれだけ正面から取り組むかとういうのが基本であって、行政はその間に立つものなわけです。しかし、残念ながら過去の歴史はそうなってなかったわけです。これがまだ改善できていないわけです。その途中段階なので、話がなかなかうまく前進しないのが現状でないかと思います。

(日垣さんの発言)
(木下さんの発言)

中西—— どうもありがとうございました。みなさん発表ありがとうございました。公式の時間ではあと12分くらいですが、30分くらい延長するつもりで行います。質問する方はぜひ短くお願いします。色んな方を有効にしたいので、短くお願いします。

 質問の前に、プレゼンテーターのお話の中で気がついたことを、二つ三つお話します。一つは、松井先生が言われたことで、false-negative間違って白と言ってしまうのを避けたいがために色々言っているんだという話がありました。これ当然なんですね。リスク評価とかのなかで、false-negativeをどう避けるかというのは、随分議論され科学的にもなってきています。どこまでは、false-negativeを考えるかということなんですが。

しかし、false-negativeも極端にいくと、環境ホルモンみたいに、なんでもないことも、あるかも知れないあるかも知れないということで、大きな問題になると、すごいコストがかかる。あるいは、別のリスクを大きくします。false-negativeを避けるためというだけでは、今度の環境ホルモンのリスクコミュニケーションは出来ない。どこまで避けなければならないかを議論しなければならない、といえるかと思います。

 それから、吉川さんと山形さんの話の中にありましたが、数字で判断するのかしないのかということですが、これについて私の考えは、山形さんと同じことと思いますが、数字で表すかどうかは別として、我々は判断しているわけです。厚労省はダイオキシン対策にこれだけのお金をつける。こちらの研究にはつけない。それは評価をしているのですから、数字で表すか、どういう形で表すかは別として、我々は判断しているんです。予算とかで現れているんです。それに対して、数字に表せないからどうのこうのというのは許されないのであって、何らかの形で形にしなければならないものだということが議論として大事と思います。

 それから、日垣さんが精子数の話をされましたが、私もあれは完全に否定されていると思っていましたが、ある大学の市民講座をしたテキストがつい最近送られてきて、そこで堂々と載っているんですね。すでに否定されたと思っているものが、大学の先生が市民のための講座で堂々と今でもしゃべっているという現実があって、もう少し大学の先生は勉強してもらわないと困りますし、それからやっぱり、リスクの大体の大きさを誰が話をするのかというのがありましたが、NHKの番組でもなんでも専門家が関係しているわけです。専門家がゼロで成り立っている番組は無いし、報道も無い。私は一番の責任は専門家にありという立場なんですが、日垣さんはご自分がジャーナリストなので、ジャーナリストの責任を言われていましたが、私は研究者なので、研究者の責任はすごく大きいと思っています。

 最後に、事業者の方も今日発言されたい方もいると思いますが、環境ホルモン問題でいうと、事業者はある種被害者と思います。しかし、色んな問題で被害者ではないですね。被害者は常に被害者ではないですよね。今回のカップラーメンなんか相当なマイナスを得ているわけですよね。そういう意味での、事業者が被害者になることがある。被害者と加害者をあまり固定しないで考える必要があるのではないかと思います。では、皆さんのご質問を受けます。

(堀口さんの発言)
(松崎さんの発言)
(大島さんの発言)
(日垣さんの発言)
(山形さんの発言)
(木下さんの発言)
(内山さんの発言)
(その他の方々も一緒に質疑応答)