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準備書面(5)(2007/01/29)

準備書面(5)(被告:中西氏提出書類)

本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。

○に数字は機種依存文字であるので、半角の1)、2)などに置き換えた。文中のページ数は、A4の紙に印刷されたもののページ数なので、html版とは一致していない。


平成17年(ワ)第914号 損害賠償請求事件
原告 松井三郎
被告 中西準子

準備書面5

2007(平成19)年1月29日

横浜地方裁判所民事第9部合議係 御中

被告訴訟代理人 弘中惇一郎
 同 弁護士 弘中絵里  

はじめに
証拠調べにより,原告の従前の主張は十分裏付けられたと確信する。以下,証拠調べにより明らかになった事実をいくつか指摘して,これまでの主張の補充とする。本書面に特に記述していないことは,従前の主張を維持するものである。

第1 本訴請求について

1 原告は,準備書面4でこれまでの主張を整理し,原告が名誉毀損であるとして問題とする被告による事実摘示は,次の2点であると述べた。
1) A環境ホルモン研究を推進し,そのリスクを主張してきた研究者であり,環境ホルモンのリスクコミュニケーションの失敗の責任のある学者の一人である原告が,本件国際シンポジウムにおいて,B「環境ホルモン問題は終わった,今後社会が関心を持つべきテーマは,もはや環境ホルモンではなく,ナノ粒子の有害性である」との趣旨で,C新聞記事のスライドを見せて「つぎはナノです」と発言したこと(以下「原告主張の事実摘示1)」という。なおABCの文字は便宜上被告訴訟代理人が付加したものである)。
2) 原告は,本件国際シンポジウムにおいて,新聞記事のスライドを見せてナノ粒子の有害性について問題提起したが,その問題提起の仕方は,原論文も読まずに又は十分に吟味することなく,ただ新聞記事に書かれていることをそのまま主張するという,およそ専門家にあるまじき,いかにもお粗末なものであったこと(以下「原告主張の事実摘示2)」という)。

2 原告主張の事実摘示1)2)のうち,被告が1)Cの事実摘示を行ったのは事実である。しかし,この事実摘示によって原告の社会的評価が低下するものではないし,原告が「私は次のチャレンジはこのナノ粒子だと思っています」と述べたのは真実であるから,名誉毀損が成り立つ余地はない。よって,それ以外の部分について,以下,環境ホルモンに関する記述とナノ粒子に関する記述に分けて主張する。

3 環境ホルモンに関する記述について

(1)原告主張の事実摘示1)のA部分について
 原告は,被告が,原告に環境ホルモン問題のリスクコミュニケーション失敗の責任があると述べたとする。
しかし,ホームページ(甲1)上の記載から分かるように,被告がそのように言及した事実自体がないのであって,原告の主張は全く前提を欠いている。
この点,原告は前後の文脈などを考慮すれば,このような事柄も,間接的ないし婉曲的,黙示的に主張されていると述べるようである。しかし,本件シンポジウムが行われた当時,被告は原告のことを環境ホルモンについて過度に危険性を訴えたりしない,冷静で着実な研究をしている研究者であると受け止めていた(中西証言26頁)。したがって,被告が,原告について,環境ホルモンのリスクコミュニケーションの責任を担うべき学者であると思っていたことすらないのである。原告の主張は被害妄想と言うほかない。

(2)事実摘示1)のB部分について
i 当該記載が事実摘示ではなく意見の表明であること
原告は,「要するに環境ホルモンは終わった,今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である」という部分につき,「原告がそのような趣旨で発言した」という事実摘示であるとしている。
しかし,「要するに環境ホルモンは終わった,今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である」という部分は,原告の発言に対する被告の解釈を示したものであって,被告の意見表明である。事実摘示ではない。本件ホームページ上も,原告の発言内容については「・・・と言った」と書き,被告の意見については「・・・という意味である」と記載しており,原告の発言内容とそれに対する被告の解釈(意見表明)を明確に書き分けている。
ii 「環境ホルモンは終わった」という部分は主要部分ではないこと
被告準備書面2で述べたとおり,名誉毀損の成立の有無は,記事の主要部分によって判断される。このことは,判例学説上,確立している。
そして,当該記述を含む「雑感286」は,「リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任」という本件シンポジウムをテーマとして取り上げたものであること,当該記述の直前に,「最初の情報発信に気を付けよう」という小見出しがつけられていること,及びその前後の記述から明らかなように,当該記述は原告のナノの問題提起の仕方を論じたものである。したがって,「今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である」の方が記事の主要部分なのであり,「環境ホルモンは終わった」という部分は枝葉末節に過ぎない。すなわち,「環境ホルモンは終わった」という部分だけでは,事実摘示の内容は不明確であり,名誉を毀損するような事実摘示とは言えない。

iii 「環境ホルモンは終わった」という記載によって原告の社会的評価は低下しないこと
 また,仮に「環境ホルモンは終わった」という部分を意味あるものとして取り上げるとしても,これは「社会が取り組むべきテーマとしては,一段落付いた,1つの区切りを迎えた」という趣旨で書かれたものである。一般人の通常の受け止め方として,「社会が取り組むべきテーマとして環境ホルモンは一段落付いた」と主張されたとしても,その主張が特段非常識なわけではないから,発言者の社会的評価が下がるわけではない。原告としては,今なお環境ホルモン問題は社会が取り組むべきメインテーマと考えているのであって,自らの信条を誤解されるという恐れを抱いたとしても,それは社会的評価の低下という名誉毀損のカテゴリーでとらえられる問題ではない。
しかも,前記のとおり,原告の発言内容は「つぎはナノです」に過ぎないのであって,続く部分はあくまでも被告の解釈を示したものである旨明記している。その意味からも,当該記述が原告の社会的評価を低下させるとは考えにくい。
 また,原告は,一般人よりも,若い研究者など,これまでの原告の活動を知る,原告の周囲の人々からの社会的評価が低下することを問題にするようでもある(原告本人尋問21頁)。しかし,原告本人尋問の結果からも,このホームページの記載が基となって,原告の信条が誤解され,非難されたという事実は,おろかそのことが危惧される状況にあるといった事実も全く浮かび上がってこなかった。
 このことは,「環境ホルモンは終わった」という記述が原告の社会的評価を低下させるような性質のものではないこと,すなわち当該記述がリスクコミュニケーションのあり方に関しての被告の意見であると一般の読者には受け止められたことを如実に示している。

iv 「環境ホルモンは終わった」という記載の前提事実の真実性
さらに,このような意見の前提事実として,原告が基調報告の締めくくりとして「今回学んだ環境ホルモンの研究はどうやって生かせるのか。私は次のチャレンジはこのナノ粒子だと思っています」と述べたのは真実である(乙5の15頁)。「次のチャレンジ」と述べれば,当然「それまでのチャレンジ」を連想されるのであって,それが文脈上環境ホルモンを意味するのは明らかである。本人もその旨認めている(原告本人尋問調書38頁)。したがって,聞いている方としては,チャレンジすべき対象が,環境ホルモンからナノ粒子に移ったと原告は考えていると,受け止めるのが自然である。
 そのほか,原告は,本件シンポジウムの中で,それまでの研究によって,環境ホルモンの毒性の大もとは,解毒機構にあることが見えてきたと述べている。さらに,環境ホルモンについて,「国家的なプロジェクトをやってわかったことは,わからないことが沢山あることがわかった」(同12頁),「結果というのは色んな方向に行くわけですから,原因があって結果と簡単にはいかないんです。こういう思考方法を考えさせられるきっかけが,今回の環境ホルモンの研究だったわけです」「実は,我々がやってきたことは,生命の本質そのものがわからなかったことが同時にわかってきた。それほど難しい問題に直面していたわけです。」「(環境ホルモンの)研究が終わったばかりの段階なので,これからです。」(原告本人尋問調書47頁。なお()内は被告訴訟代理人が付加)などと,過去形をちりばめながら,環境ホルモンの研究が,1つの成果を得て,区切りを迎えたことを何度も述べたのである。
 したがって,原告は,まさしく,環境ホルモンの研究が1つの区切りを迎えたと述べていると言ったのであり,被告が,これをとらえて,問題の原告の発言を「環境ホルモンは終わったという意味である」と解釈したのは,事実に基づく合理的な解釈ないし意見と言うべきである。

4 ナノ粒子に関する記述について

(1)原告が環境ホルモンからナノ粒子に関心を移したことにより,節操のない科学者だと思われるとの点について
 「今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である」という記載について,原告は,被告が原告の発言の趣旨を事実摘示したものであるとし(原告主張の事実摘示1)B),このような摘示は,一般の読者に節操のない学者であるという印象を与えるとする(訴状の請求の原因や原告準備書面3の3頁)。
 しかし,一般的に,科学者が新しいテーマに取り組んでいくこと自体,何ら科学者の社会的評価を低下させるような事柄ではない。このことから,節操のない学者であるという印象を抱くというのは,論理の飛躍がある。原告自身,ナノ粒子に関心が生じたとされることは,問題に感じていないとも述べている(同43頁)。さらに,実際に,原告はナノ粒子に関心を抱き,現に2005年4月からナノ粒子の研究について科学研究費をもらっているというのである(原告本人尋問調書15頁)。したがって,原告が最近ナノ粒子に関心をもつようになり,現に研究を開始しているのは真実である。

(2)原告は,ナノ粒子の有害性の問題提起はしていないのであって,批判の前提事実が真実でないという主張について
さらに,原告は,準備書面3以降,突然,原告は,環境ホルモン研究で解明した知見が,ナノ粒子の問題の解明に生かされると考えられると付言したのみで,ナノ粒子の有害性の問題提起をしたり,それについての論文の紹介をしたりしてはいないと主張し始めた。つまり,被告は原告の問題提起の仕方を非難したが,そもそもその前提を欠いているというのである(同14頁,準備書面4の3頁)。
しかし,原告は,「ナノ粒子 脳に蓄積」「米,毒性評価を研究へ」という大見出しのある京都新聞のスライドを見せながら,「我々は予防的にどうやって次の問題につなげるのか・・・私は次のチャレンジはこのナノ粒子だと思っています・・・ここに書いてあるようにナノ粒子の使い方を間違えると新しい環境汚染になる。我々はこのナノ粒子の問題にこれからどのように対応できるかが1つのチャレンジだと思っています」と述べたのである(乙5の12頁)。原告が,次はナノ粒子の有害性を問題にするべきだと問題提起したことは,一見して明らかである。
 これに対し,原告は,本人尋問において,京都新聞のスライドは,第12図からの流れで環境ホルモン研究との共通性を表示したに過ぎず,記事が示す有害性そのものを,一切発表には使っていないなどと述べた(15頁)。
 しかし,実際には,上記下線部のように,ナノ粒子による新しい環境汚染を示す記事として新聞記事を紹介したのであって,原告の供述は事実に反している。
 かえって,原告が第13図を示した本来の趣旨であったとする,「第13図と環境ホルモン研究との共通性」は,発言上,全く認められない。原告は,言葉で説明しなくても,図の流れからして,解毒機構の共通性を示すためにナノ粒子に言及したことは,分かる人には分かったはずである,被告も含め,パネラーも理解できないと思うが,会場にいる科学者の中でももっともこの研究に近いところで研究している人なら分かったはずだと述べる(27〜36頁)。しかし,意図とは全く異なった発言をしておきながら,分かる人には分かるはずだというのは極めて独善的な考え方である。特に,今回のシンポジウムのテーマがリスクコミュニケーションであり,会場には環境ホルモン自体の専門家ではない人も多数いたであろうことからしても,このような発言がむやみにナノ粒子への不安を招く不適切なものとして,批判を浴びるのは当然のことと言うべきである。

(2)そのほか,原告は,前記の通り,「原論文も読まずに又は十分に吟味することなく,」との事実摘示をしたというが,そのような事実摘示のないことは甲1号証で明らかである。被告は,当然に原告は原論文は読んでいるものと思っていた。だからこそ,甲1で「この原論文の問題点に触れてほしい」と記載したのである。
「自分で読んで伝えてほしい。でなければ,専門家でない」の部分は一般論であるが,仮に,原告のことについても指摘しているとしても,ここで被告が問題にしているのは「自分で読んで伝える」ことであり,「読むこと自体」ではなく,まして「十分に吟味すること」などではない。「読む」ことと「読んで伝える」ことではまったく意味が異なる。このことは準備書面3で詳述したとおりである。

(3)さらに,原告は,被告が「ただ新聞記事に書かれていることをそのまま主張した」旨,事実摘示したとも述べるが,原告は新聞どおりの主張すらしていない,というのが事実である。新聞の通りと思うならそう言ってほしい,自分の意見を付することなく新聞の記事をただそのまま示すだけではおかしい,と述べているのである。真実,原告の新聞の紹介がそのようなものであったことは,乙5の12頁から明らかである。

5 被告が本件ホームページで原告を批判したことの妥当性

(1)ナノについての原告の発言は,それまでの環境ホルモン問題との関係性を一切論じることなく,何の説明もないまま,ショッキングな新聞見出しを見せつけて,「これからはナノ」と断じたものであり,その発表の仕方が,リスクコミュニケーションとしてもっとも批判されるべきものであったことは明白である。
 原告自身が,ごく限られた専門家以外は,それまでの環境ホルモン問題との関係を理解できなかったことを認めているのである。被告を含むパネラーさえも理解できなかっただろうと認めているのである。しかも,原告は,それ以前に環境ホルモンでの研究とナノにおける応用について発表したことなどは一度もなかったのである。
 このような場合に,唐突な「ナノ発言」について,それを聞いたものが当惑し疑問に思うのは当然のことである。そのような場合には,自身の発表の仕方の拙さ,ないしリスクコミュニケーションを論じる場の発表として非常に問題が多かったことを反省するのが通常の学者ないし大人の態度である。しかるに原告は,それに対する批判を,自身への悪意ある名誉毀損発言と決めつけたのであり,誠に身勝手で独善的というべきである。
(2)そもそも,被告においては,原告を特別に意識したこともないし,当日のパネラーとして採用したことに明らかなように,原告に対する個人的な悪意もない。
 また,被告は,環境ホルモンの研究にもかねてから携わってきたのであり,原告や原告のグループの研究や運動を妨害すべき理由もない。
 被告が原告の発表の仕方を批判したのは純粋に学者としての学問的批判に過ぎない。また,その批判が妥当なものであったことは,これまでに主張してきたとおりである。

第2 反訴請求について

1 本人尋問の結果,原告は,およそ自らの発言内容について何ら正しい記憶ももたないまま,自分の発言が批判されたとして本訴を提起したことが明らかになった。
 原告が提訴の前提とした自らの発言内容である甲8と,実際の発言内容を示す乙5を見比べれば,いかにいい加減な記憶に基づいているかは一目瞭然である。
 それにもかかわらず,原告は,自らの発言内容を確認することもなく,「私の15分間のプレゼンテーションを,あなたは頭から聞かずに,無視をしていたのですか」「次に指摘したのは,ナノ粒子フラーレンは,AhR(略)で認識されないなら,一度細胞内に進入すると細胞外に排除される機構が存在しない危険性を指摘したのであって———決して次のような発言はしていません———「つぎはナノです」と言ったのには驚いた。要するに環境ホルモンは終わった,今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である」———これは,あなたが意図的に,このように発言しているのですか?もし意図的でなければ,あなたは,私の講演を,よく理解できなかった学者である証明です」などと被告を非難するメールを,被告を含む多数人に発送すると共に,ついには提訴までしたのである。
 しかも,発言内容が当初の記憶と大幅に異なることが判明した後も,陳述書の訂正もせず,分かる人には分かったはずだとして,分からない方が悪いかのように開き直る始末である。
 この訴訟の間,原告側は,「ホームページに書く前に事実を確認するべきではないか」「謝罪しないのか」と幾度となく被告を攻撃したが,この批判はそのまま原告にこそ向けられるべきである。

2 原告は,当初の陳述書(甲9)において,当日の自分の発言は甲8のとおりであるとしていた。たまたま,被告が当日のシンポジウム発言を録音したものを入手したので,それにより,この原告の主張は誤りであり,「ナノ」について甲8のような発言をした事実がまったくないことが判明した。
 一般的には,自分のシンポジウムでの発言についてはおよその記憶があるはずである。特に,このような場合に,普通の人であれば,「ナノ」については,時間が足らなくて何も説明できなかったとの反省がつきまとって,そのことを忘れるはずがない。
 仮に,記憶があいまいであれば,メールで抗議したり提訴するまでに,シンポジウムの出席者に確認するなどの最低限の調査をするはずである。
 しかるに,原告は,そのような最低限の調査さえせずに提訴までした上に,録音テープという動かぬ証拠を突きつけられても,その誤った陳述を一切訂正せず,法廷でも「訂正を考えたことすらなかった」と強弁したのである。この一貫した態度からして,原告には,傷つけられた名誉の回復を求めるなどという誠実な目的ではなく,被告を一方的に非難攻撃するために,敢えて提訴に踏み切ったというべきである。
 このことは,乙第6号証において,提訴の目的が,自分たちの運動の妨げとなる被告を攻撃するためのものであることを明らかにしていることに如実に示されている。

3 以上の通り,本件のような提訴は,まさに裁判を受ける権利を濫用した表現の自由や,学問の自由に対する恫喝である。被告が多大な精神的,経済的苦痛を被ったことからしても,原告は,本件提訴によって被告に与えたこれらの苦痛を慰謝すべきである。

以上