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記事番号: | 1946 |
タイトル: | Re: ご報告 |
名前: | 酔うぞ |
投稿日時: | 2007/04/19(Thu) 08:18:30 |
URL: | 未入力 |
>『記事番号: 1898 』 で、松井名誉教授からのメールを公開してよいか聞いて >みると言ったままご無沙汰してました。その結果を報告します。 いわば最終的に確認は出来た、ということなりますね。 しかし、こりゃどういうことなのだろう? ホームペイジ内容のチェックが働かない仕組みにおいて、 学者、研究者のホームペイジ利用の倫理問題について、 私の重要な提訴の判断を避けた判決になっています。 提訴後、中西氏は相変わらずホームペイジで、 自分の言い分を流し続けました。 私は、京都大学の公式ホームペイジしか使用してきませんでした。 中西氏が、ホームペイジの内容を批判した 私の意見に耳を傾け、誠実に回答するのではなく、 自分に都合の良いものだけ掲載する倫理なきホームペイジの運用・・・ 基本的に「チェックが働くべきだ」と言うことのようですが、それでは議論や批判とどう向き合うのだろうか? そもそも、インターネットは表現の一手段であって多数の表現手段があるのだから、一元的な価値観に集約するはずもないだろう。 そうなると「インターネットは表現手段として強力だから」というのが問題提起なのだろうか? 確かに強力であるかもしれないが、それを意図的に使わない=言論を戦わせいな、ことについてまで世間に責任がある=特権階級であるから保護されるべきだ、ということと何が違うのだろう? これだけやって、判決が出てもなおかつ「何を考えているのか分からない」というのでは、世間とうまくやっていくことが出来ないのではないか?となりますねぇ。 |
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