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現在位置: 平成27年(ワ)第8495号(EM出口vs.左巻) / 解説・コメントなど / ずれ方を見ると興味深い

ずれ方を見ると興味深い

訴訟資料を読んでいて面白いなと思ったのは、出口氏の本人調書である。裁判所での主尋問と反対尋問のやりとりで、宣誓して述べるわけだから、本人にとっての真実が語られていると思って良いだろう。なお、いくつか追記しています。

主尋問を見てみる

調書によると、出口氏は、現在はフリーのジャーナリスト兼会社役員で、元産経新聞の記者である。ジャーナリストの資質として必要なことは「当事者本人に直接面談する」「権力側あるいは権威の側に立つんではなくて、社会的弱者、庶民の側に身を置くというのが大事」だと述べている(P.2)。

EMに対する出口氏の評価は、「社会に役立つという意味では大変すばらしい技術」である。まあ、そう考えたからDNDのサイトで比嘉さんの原稿の掲載を続けているのだろう。この部分については、出口氏の主張と行動に矛盾はない。

EMとかかわったきっかけは、新聞社の編集局の地球環境室次長という立場のときに、月刊環境デジタルという雑誌を創刊し、比嘉教授に連載を依頼したことだと述べている(P.2)。

比嘉氏は、一般向けの書籍を「地球を救う大変革」(1993)といったキャッチーなタイトルで出版してはいるが、EMの農業資材としての実態は「大変革」とはとてもいえず、うまく合う環境があるかもしれないが、他の農業資材に比べて圧倒的というわけでもない。もっとあからさまにいうと、それほどたいしたものではない(公開シンポジウム「微生物を利用した農業資材の現状と将来」(1996/08/03))。当時、比嘉氏のどのあたりを見て連載を依頼するという結論に至ったのかを出口氏にきいてみたいところではある。シンポジウムの前ならそれまでに出ていた論文を評価する力が出口氏に無かったということだし、シンポジウムの後なら注意力不足だろう。とはいえ、出口氏のモットーは「当事者本人に直接面談する」だから、比嘉氏本人に面談した結果、本来なら疑問を持たねばならないところを丸め込まれて引っかかったというなら、わからないでもない。

「地球を救う大変革」の次に比嘉氏が登場する本は「本物の世紀」(1994)だが、この本、並んでる人物が渡部昇一・比嘉照夫・船井幸雄である。船井幸雄が出てきた時点でオカルトの危険信号が点りまくりなわけで、迷信にでも縋らないとやっていけない立場の人ならともかく、産経新聞の編集局の地球環境室次長が相手にする代物ではない。というか、その肩書きの人であれば(元・その肩書きの人であっても)、こいつらオカルト、と見抜いてもらわないと困る。

比嘉氏は、「蘇る未来」(2000)でさらに風呂敷を広げ、「EM医学革命―いのちを救う!驚異のEM‐Xとは」(2000)、「蘇生海塩の驚異―血液がよみがえるEM熟成塩」(2000)を出版し、この時期に健康ビジネスに舵を切ったことがうかがえる。このタイトルでは、怪しい健康本だという予感しかしない。なぜなら、健康への効果を言うには臨床試験が欠かせないので、それ無しに願望を述べられてもどうにもならないし、まかり間違えば健康被害が起きる可能性もあるからである。

DNDのサイトでの「比嘉照夫氏の緊急提言」は、連載第一回が2009年1月1日である。出口氏にとっては、無節操に健康ビジネスに手出しを始めたあたりで比嘉さんの活動は怪しいあるいは危ないと気づくチャンスでもあったはずだが、どうやらスルーして、連載開始に至ったらしい。

今回の訴訟で問題となった「真性のおばか」云々について、出口氏は「一面識もない方から、このような暴言をされるということについて、大変驚きました」「論文を掲載したということで、ばか呼ばわりされるというのがちょっとやっぱりおかしいなというふうに思いました」と答えている。

一面識もない人にまで届くようにと比嘉氏の原稿を自サイトに掲載したのは出口氏である。その結果、一面識もない人から酷評されるかもしれないことは掲載の時点で予想すべきことであり、それで驚く、ということの方に私は驚いた。読んだ人がみんな比嘉氏に賛同すると思っていたのか、それとも、どういう批評を公開するかも編集側で選べる昔の新聞の感覚のままでいたのか、どっちなんだろう。もう一つ、違和感があったのは、比嘉氏の連載を「論文」と言ったことである。理系でいうところの業績としての論文は、DNDに比嘉氏が連載しているようなものではない。比嘉氏の寄稿内容を「論文」と認識しているのであれば、出口氏には理系の業績評価は無理で、EMに引っかかったのも頷ける。が、これは尋問の中での言及なので、ついそう言ってしまったのかもしれないが。

批判に関しては、出口氏は「呼吸発電という人物と、被告との2人の関係で、何かこう組織的に狙われてるなということで、大変恐ろしいものを感じました」(P.4)と述べている。たった2人しか居ないのに「組織的に狙われてる」というのはどうかと思う。

2014年に「やくざそのもの」と言及されたことが出口氏にとってはショックだったようで、「2014年、その中で特に9月10月がひどいんですけども」と述べている。出口氏から見ればその通りなのだろうが、その頃、我々の側では、出口氏が批判側の所属組織に次々にクレームを入れていた、その上EM研究機構までクレームを入れにきた、ということが観測されていた。

本件訴訟の経緯」の前半は、私が状況整理のために、出口氏のクレームを受けた人の状況を時系列でまとめたものである。そもそものきっかけは、2013/05/15に青森市立西中学校のインタビュー記事の事実確認をサイエンスライターの片瀬氏が公開し、2013年の間に公開討論会などをやっていたら、2013/05/11に片瀬氏のところに出口氏からのクレームが届いたことである。その次が日本科学者会議での批判があり、出口氏がまたもクレームを入れた。それが原因で、左巻氏に「真性のおばか」と書かれるに至った。その後出口氏はどうしたかというと、国立天文台、神田外国語大、松永氏に直談判、といった行動をくり返していた。それが2013年の暮れから2014年の夏頃にかけてのことである。出口氏が組織にクレームをつけるたびにそれが話題になって批判がネットに出回っていただけの話である。しかも、出口氏は、自分でクレームを入れるだけではなく、EM研究機構経由でまでクレームを入れた結果、さらに目立つ結果になった。そういう行動が積み重なった結果、2014年の秋頃に、出口氏=EMとの関係がよくわからないのになぜかクレームを入れに来るEM推しの人、ということが広まってしまい、批判も広まる結果になった。

EM批判をしていた何人かのうち、環境問題の専門家と言えるのは神田外国語大の飯島氏だけなので、飯島氏を黙らせれば良いというのがEM側の目標だったのかもしれない。EM研究機構と、出口氏の両方からクレームを入れられている。

批判が大量にRTされたのが初めての経験だったと出口氏は述べている(P.6)。しかし、このときの出口氏に対する批判はただの批判止まりで、いわゆるネット炎上という状態ではなかった。これだけの期間情報発信を続けていて批判が広まる可能性を全く考えていなかったらしいのが、元新聞記者だということに、私は呆れている。

出口氏は、「これは、ジャーナリストとして、幾ら自分が裏付け取材をして、これは間違ってるなというふうに思っても、やはりコンファームといいますか、確認というのはもう、これは欠かせない作業なんです」「訪問して聞くのがジャーナリストの取材姿勢であるわけです」(P.8)と述べている。これも、出口氏にとってはモットーなのだろうし、ジャーナリストとしても正しい在り方だろう。が、この姿勢だったからこそ比嘉氏のEMに引っかかったのではないかとも思える。

EM支援を始めた理由の一つとしては、「EMも、これも琉球大学の研究成果です。社会にいかに貢献するかという成功事例だと思いますので、DNDとして支援、応援するのは当然だと思います」と述べている(P.14)。

おそらく出口氏は、自然科学として確からしい内容かそうでないかを判断する方法を最初から持っていないのだろう。確かにEMは広く使われたが、その多くは、確かな根拠が無いのによそで実践例があるからといった理由で学校現場を中心に使われるに至った、つまりは誤解によるものである。広く使われた、マスコミに取り上げられた、だけを判断の基準にするなら、確かにEMは成功例だろう。

反対尋問を見てみる

EM研究機構の顧問であった時期について、出口氏ははっきりと答えていない。2014年か2013年の暮れ、としか言っていない。これほど長期間にわたって比嘉氏のEMを推してきているのだから、本体であるEM研究機構の顧問というのは願ってもない仕事だし出口氏にとっては名誉と感じられることだっただろうと思うのだが、その時期をはっきり覚えていないと言っている。なんだか、EM研究機構に対する思い入れが全く足りないように見える。しかも、出口氏自身は、顧問であることを自分から積極的に公開しようとした形跡がない。

比嘉氏の原稿の内容を理解しているかという問いに対して、出口氏は「正直に言えば、全部理解してるとは言い難いと思います」と答えている(P.25)。この批判でも、比嘉氏が「波動」に嵌まっていることについて目を逸らしていることが指摘されていたが、尋問でも逃げた。まあ、オカルトである「波動」について理解していると答えるわけにもいかなかったのだろうが。

裁判官が学者としての経歴を訊いたことについて、最初が「東京農工大学の大学院の技術経営研究科の特別招聘教授」で、何を教えるのかを訊かれて「専門はリスクマネジメント」「何か会社とかいろんなところで問題が起きたときのダメージコントロールといいますか、それが専門でございます」と答えている(P.26)。内容を理解できない原稿を掲載し、批判があったら批判者の所属組織にクレームをつけて回る行動をとる人物が元リスクマネジメントの専門だというのは、何の冗談だ一体。実際、出口氏がやったことは、リスクマネジメントどころか、EMに対する批判をより強くしただけだったと思うのだが……。あげくに訴訟でさらに悪目立ちしている。これでは、リスクマネジメントの反面教師でしかない。

EM研究機構を通して神田外国語大学にクレームを送ったことについて、実際にどういうタイミングで送られたか出口氏は把握はしていないし、EM研究機構から学長に内容証明を送ったことについて、何を期待していたのか・止めなかったのか(学者としての経験があるならなぜ学長本人から何か回答があると思ったのか)と訊かれて、はっきり答えられないままになっている。何かをやったときの効果やら狙いをよく考えず、途中から他人に丸投げするというのでは、出口氏のコントロールは全く効いてないことになる。リスクマネジメントという観点からは危なくて仕方がない。

出口氏は何を間違ったのか

ジャーナリストのありかたのセキュリティホール

出口氏は、ジャーナリストとしての経験から、「当事者本人に直接面談する」「権力側あるいは権威の側に立つんではなくて、社会的弱者、庶民の側に身を置くというのが大事」「これは、ジャーナリストとして、幾ら自分が裏付け取材をして、これは間違ってるなというふうに思っても、やはりコンファームといいますか、確認というのはもう、これは欠かせない作業なんです」「訪問して聞くのがジャーナリストの取材姿勢であるわけです」と述べている。記者としての経験からくる言葉だろう。一般の事件や世相を反映した記事を書くのであれば、この姿勢は非常に大切である。

しかし、自然科学の業績の内容を評価する場合には、研究者の人物像など全く不要である。本人が口頭でどう言っているかという情報も必要ではない。判断に必要なのは発表され査読されて学術雑誌に掲載された論文のみである。著者が書いた1報だけの内容のみで確からしさが決まるわけではなく、どれだけ追試が行われたか、批判的に内容が検討されたかということも併せて、どの程度確からしいかが定まってくる。

もし、出口氏が、比嘉氏の人物像や著書を見ず、論文のみに注目して批判的に読んでいれば、そもそも月刊環境デジタルに比嘉氏の原稿を載せることは無かったのではないか。その後も、比嘉氏が健康ビジネスに参入しようとした時に、ヒトに対する試験の論文の有無や根拠となった論文の内容を精査していれば、不確かな話だと気づいたはずである。放射能除染についても同様で、放射能とセシウムの振る舞いについて基礎的なことがわかっていれば、EMで放射能は消せないし、除染の方法としても割高(=pHを下げて吸着セシウムをはがして洗い流すなら培養という手間は不要)と判断できたはずである。

一方、自然科学の成果を評価するにあたって、研究者の人物像に注目すると何が起きるかは、最近の例だと、STAP細胞騒動がはっきり示してくれた。小保方氏は、直接面談すれば、この上なく魅力的な人物に見えるだろう。小保方氏に直接会えた人は少ないが、かわりに直接面談を記者会見という形で多くの人に対して実現し、それを見て科学としての判断を誤った人が未だに数多く居る。過去のねつ造事件を見ても、最悪のねつ造事件を行ったヘンドリック・シェーンは、直接会うと非常に魅力的な人物だったと伝えられている。

研究内容に批判があったり、あまり注目されていないのにはそれなりの理由がある。それを、「権力側あるいは権威の側に立つんではなくて、社会的弱者、庶民の側に身を置くというのが大事」だからと、「権威」が重きをおいていない内容を積極的に取り上げ、「当事者本人に直接面談する」を行えば、研究内容が怪しいが直接会うと魅力的な人物の、キャッチーな主張にころっとだまされるだけである。

しかし出口氏はこのことを自覚も認識もしていなかった。EMに対する批判は、比嘉氏が論文として出していないだけで、自然科学の主張に対する批判であるから、直接人に会って確かめる必要などなく、本人が主張した内容のみがあれば可能である。ところが、出口氏は、直接会って話せばなんとかなる、と思い込んでいたようで、何回もあちこちに直談判しようとした。それがすでに間違いである。出口氏は、過去に自身が扱ってきたものとは異なった種類のものが取り扱われているのだということに気づく能力を欠いていることがわかる。

大学発ベンチャーの発展に尽力したいという出口氏の意図はわかるが、私は、出口氏は、技術について判断したり評価したりする能力はないし、まともな技術かそうでないか(そもそも技術かオカルトかでさえも)を選別する能力も欠いていると思う。そうでなければ、「船井系」の「オカルト」に走った比嘉氏をとっくに見限っているはずである。出口氏は、あくまでも、人の間に起きる事件をネタにするジャーナリストであって、技術に関わるべきでも手を出すべきでもなかったのだろう。ご本人としては、完全に理解したわけでもない比嘉氏の原稿を掲載した結果、あちこちから批判されるのはただの災難だろうが、身の丈以上のことをやろうとして他人まで巻き込んだ結果であると受け止めていただくしかない。いずれにせよ技術に対する選別眼の無さは致命的なので、出口氏は、ベンチャー育成の仕事からは手を引くべきだろう。

リスクマネジメントとしても問題がある

出口氏が、サイトの管理を始めたのは、大学発ベンチャーがブームであった頃なので、おそらく、2000年代前半にはネットを使った情報発信を行っていたはずである。そうであるなら、ネット炎上事件がときどき起きることも、それがどのように始まって収束したかも知っていたはずである。2006年にリスクマネジメントを専門として特別招聘教授になっていたのなら、この頃までに起きた民間企業を巻き込んだネットの騒動について、状況は知っていて当然である。ところが、今回の訴訟のきっかけとなった批判について、多数のRTが行われてしまって、「実際どうしていいか分からず」と述べている。しかもその原因は、内容を完全には理解していない比嘉氏の原稿を掲載し続けたことにある。自分に理解できないものを積極的に公開するリスク、全く見知らぬ人にそれが読まれるリスクを予測していなかったとしか思えない。その結果として批判が広がったときに、対処の方法が全くわからないような人に、企業のリスクマネジメントが可能であるとは到底考えられない。

その上、直接会う、という、ジャーナリストのやり方で行動し続けた結果、出口氏が訪問してクレームを入れたという情報がどんどん共有されてネットで批判されるという結果を招いた。今時、批判に対して内容で反論せず組織にクレームを入れることがどういう結果を招くかについて、まったく予想もしていなかったようである。

東京農工大学について、「出口を雇う大学はひどい」と批判されたことを出口氏は気にしている。おそらくその批判はEMに関連するものだろう。しかし、本人調書の内容を見る限り、出口氏を雇った東京農工大は、リスクマネジメントを行う能力がある人物かどうかを完全に見誤ったという意味で酷い、と私も思う。

幸いにして、出口氏は、農工大の後は、リスクマネジメントを飯の種にはしていない様子である。それで正解だと思う。二度とリスクマネジメントの仕事に関わるべきではない。もっとも、この訴訟までの流れを見れば、客が来ないだろうが。

出口氏に「肩書き」を与えるのは(与えた側が)危ない

出口氏の一連のクレームの中で今回明らかになったことはまだある。出口氏の「肩書き」の利用の杜撰さである。

出口氏は、EM研究機構の人間であることを名乗ってクレームを入れている。私が記録した関係者の証言メモでは、2013年12月に国立天文台にクレームを入れた時にEM研究機構の名刺を残している。2014年12月に神田外国語大学にクレームを入れた時にはEM研究機構顧問の肩書きの名刺を残している。一方、本人調書で明らかになったことは、出口氏がEM研究機構の顧問をしていたのは2013年か2014年の10,11,12月頃で、どちらだったか出口氏自身がはっきりと覚えていない、ということだった。顧問であった期間が3ヶ月というのは、出口氏がはっきり語っている。ということは、天文台か神田外国語大のどちらかへのクレームの際に、出口氏は実際には無い肩書きを名乗って行ったということを意味する。2013年に顧問をしていたのなら、神田外国語大ではとっくに終わった顧問の肩書きの名刺を使ったことになるし、2014年に顧問をしていたのなら、国立天文台では嘘の肩書きを伝えたことになる。

2014年12月の神田外国語大へのクレームの際に、出口氏は、5種類の名刺を手渡している。「DND代表取締役社長」「EM研究機構顧問」「金沢工業大学客員教授」「桧家ホールディングス取締役」「journalist」の5種類である。DNDの代表取締役がDNDの事業内容をどうするかを決めるのは自由であるし、ジャーナリストを名乗るのにどこかの組織の許可は不要だから、この2つについては出口氏が好むところでいつでも使っても問題はない。「EM研究機構顧問」は、顧問であった期間に疑問が生じているが、もし2014年に顧問であったのなら、クレームの内容と立場が合致しているので、使っても問題はない。しかし、「金沢工業大学客員教授」「桧家ホールディングス取締役」については事情が異なる。

金沢工業大学では、産学連携室というところで客員教授をしていたと出口氏は述べている。その産学連携の仕事の中に、「波動」といったオカルトを堂々と謳っているEMへの批判を押さえるという仕事が含まれているとはちょっと考えられない。産学連携室の業務とは、学内のシーズと産業界を結んだり、学内の知財の管理を行ったりするといったものではないのか。神田外国語大学へのクレームという、本来の業務とかけ離れた用途で肩書きを使われるというのは、金沢工業大学からみれば想定外だったのではないか。

桧屋ホールディングスのウェブサイトなどを見た限りでは、EMをセットで売っているようには見えない。傘下の企業にEMで商売しているところは見当たらないし、協賛しているイベントはどれもまともで文化の発展に寄与しており、EMが関係していそうなものは見当たらない。オカルトを押し通そうとするクレームに桧屋ホールディングスの取締役の肩書きが使われたというのは、桧屋ホールディングスにとってはイメージダウンも甚だしい。

これらのことからわかるのは、出口氏にうかつに「肩書き」を与えると、想定していない使われ方をするということである。今後、出口氏とビジネスをする方は、肩書きの使い方についても出口氏を契約で縛る必要があることに注意されたい。

その他の追記

呼吸発電さんを始め、何人かが以前からEMを批判してきたけど、出口氏については、何でこんなもの薦めてるんだ、ってこと以上でも以下でも無かったと思う。朝日新聞やら片瀬さんが裏取り取材やったあたりまでは大体そういう扱いだったかなと。裏取り取材へのクレームで一気に出口氏が目立つことになった。あそこでスルーしていれば状況は違ったかなとも思う。

エビデンスが無いものを広めるな、って批判に対して、言った人の組織にクレームを入れるってのは、自然科学をやってる側からするとかなり異常なことというか、その行動だけで、内容は信頼できません、と触れて歩くのに等しい。だから目立った。この場合の通常の対応は、当該効果を示す査読つきの論文やその追試(できれば他のグループによる)の論文を示すこと。出口氏が組織に出向く必要も直談判する必要も全くなく、論文を送って解説してれば良かったわけだし、それができないならそんな話広めちゃいけなかった。査読つきの論文じゃない新聞記事とか、お手盛りの実践例じゃダメで、証拠としての精度が全く足りない。モノがいくら広く使われていてもダメ。EMよりは明らかに普及して知名度もあった「マイナスイオン」がその後どうなったか、ってのを見れば明らか。