平成19年(ワ)第1493号 損害賠償請求事件
原告 吉岡英介
被告 国立大学お茶の水女子大学
参加人冨永靖德 外1名
意見書
水の磁場効果について ー振動分光と表面張力ー
お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科
冨永靖徳
2008年6月30日
概要
本件訴訟に関して、原告がマグローブの効能について、パンフレット記載のとおりであると釈明したことをうけ、水の研究者として科学的見地から、実際にマグローブが、原告が主張するような変化をもたらすかについて検証した。
今回の検証については、原告が主張している効能のうち、比較的客観的検証になじむ、マグローブを通過させた水道水についてクラスターに変化が生じているかという点と、マグローブを通過させた水道水について表面張力の変化が生じているかという点について検証した。
その結果、いずれも変化が見られず、原告の主張する種々の効能はその前提において誤りであると確認した。
1 経歴等
学歴
昭和43年3月 東京大学理学部物理学科卒業
昭和45年3月 東京大学大学院理学系研究科修士課程物理学専攻修了
(理学修士)
昭和48年3月 東京大学大学院理学系研究科博士課程物理学専攻終了
昭和48年3月 理学博士(東京大学)(博 理第474号)
職歴
昭和48年 4月 東京大学物性研究所 誘電体部門 助手
昭和53年 1月 お茶の水女子大学 理学部物理学科 助教授
昭和61年 7月 お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科
比較文化学専攻(博士課程)担当
昭和63年 8月 お茶の水女子大学 理学部物理学科 教授
平成 9年 4月 お茶の水女子大学大学院 人間文化研究科
複合領域科学専攻 専任教授
平成19年4月 お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科
自然・応用科学系 教授
平成 8年 4月 − 9年 3月 お茶の水女子大学 評議員(理学部)
平成 9年 4月 − 11年 3月 お茶の水女子大学 評議員(人間文化研究科)
平成14年4月 − 16年 3月 お茶の水女子大学 評議員(人間文化研究科)
主な論文等
"Study on dynamical structure in water and heavy water by low-frequency Raman spectroscopy"
K.Mizoguchi, Y.Hori and Y.Tominaga, J.Chem.Phys. 97 (1992) 1961- 1968
"Dynamical Aspects of Water by Low-frequency Raman Scattering"
Y. Tominaga, Y. Wang, A. Fujiwara and K. Mizoguchi, Journal of Molecular Liquids 65/66 (1995) 187-194
"Dynamical sturucture of water in dioxane aqueous solution bu low-frequency raman scattering"
Y.Tominaga, S. M. Takeuchi, J.Chem.Phys. 104 (1996) 7377-7381
"Low-frequency Raman spectra of amorphous ices"
Y. Suzuki, Y. Takasaki, Y. Tominaga and O. MishimaChemical Physycs Letters 319 (2000) 81-84
"The Landau-Placzek ratio of water-alcohol binary mixtures"
Yuko Amo and Yasunori Tominaga, Chemical Physics Letters 332 (2000) 521-524
"The First Observation of Low-Frequency Raman Spectra of Supercritical Water" Yasunori Tominaga and Yuko Amo, J. Phys. Soc. Jpn. 75 (2006) 023801-1 -- 023801-3.
"スペクトロスコピーで水の動的な構造を覗く"
冨永靖徳, 日本物理学会誌 48 (1993) 773-780. (日本物理学会)
"水のラマン散乱と水素結合によるクラスター"
冨永靖徳, 日本結晶学会誌 40 (1998) 95-100. (日本結晶学会)
"水のクラスター"
冨永靖徳:ぶんせき、7 (2004)、396-398 .(日本分析化学会)
2 マグローブを通過させた水道水にクラスターの変化が見られるか
2.1 水のクラスターについて
原告は、マグローブを通過させた水のクラスターが小さくなるかのような記載がなされている。
水分子が水素結合で繋がっている状態を表すのに、しばしば「クラスター」という用語が使われる。しかし、水の中にH2O分子が葡萄の房のように、ひとつながりの集団として、各所に点在しているという訳ではない。
「水」は酸素1原子と水素2原子で出来ているH2Oという化学式で表される物質である。液体状態の水は、H2O分子が「水素結合」と言われる特別な結合で繋がっており、水の示す多くの特異な性質がこの水素結合によるものであると理解されている。
そして、液体の水は極めて短い時間(1 ps (1兆分の1秒) のオーダー)で、水素結合が生成・消滅を繰り返している。溶液化学で使われる「水のクラスター」とは、このような水素結合の生成・消滅のなかでの一瞬の水分子集団のことを表わす概念である[1]。言い換えると、水のクラスターは、水素結合が極めて短時間で生成・消滅を繰り返すので超高速で変化している。このため、通常の時間で考えるときは、水は平均化されて「クラスターの大きさ」という考えかた自体が無くなっている。つまり、液体の水は、温度と圧力が決まれば、どの部分をとっても全く均一の液体として扱われているのである。
つまり、「クラスター」という言葉について、日常の生活において、水が葡萄の房のような状態になっていて、その房が大きい小さいという意味で用いるのは誤りである。このとから、原告がクラスターの大きさを理由に日常生活における様々な効能を論じているのであれば、それ自体が科学的根拠のないものである。
2.2 クラスターの変化と分光スペクトルの形の変化について
水素結合の超短時間の状況(クラスターの状況)は水分子の分子振動の変化として、振動分光のスペクトルに顕著に表れる事が分かっている。特に、水分子における酸素原子と水素原子が互いに伸び縮みする伸縮振動(O-H伸縮振動)は、水素結合の状態を敏感に反映し、その変化がラマン散乱(物質に光を入射したとき、散乱された光の中に入射された光の波長と異なる波長の光が含まれる現象をラマン効果といい、その散乱をラマン散乱という)のスペクトル(光を周波数帯ごとに区分したもの)や赤外スペクトル(測定対象の物質に赤外線を照射し、透過(あるいは反射)光を周波数帯に区分したもの)のような振動分光スペクトルとして測定される。ラマンスペクトル(光源として単色光であるレーザー光を物質に照射して、発生したラマン散乱光を分光器、もしくは干渉計で検出したもの
)では、試料の水にレーザ光線を入射すると、散乱するレーザ光の振動数が分子振動の振動数だけ変化して観測される。また、赤外スペクトルでは、分子振動の振動数に相当する赤外線を吸収するので、照射した赤外線よりもエネルギー分だけ弱いものとなっている。それらが、振動スペクトルとして測定される。これらの、スペクトルの形状が水素結合の状況によって、顕著に変化する。
図1に、市販の蒸留水(純水)(蒸留水:Wako Distilled Water 043-16785 500ml、和光純薬工業株式会社)のO-H伸縮振動の領域のラマンスペクトルを、飽和蒸気圧曲線に沿って測定したときのスペクトル変化を示す。
水は臨界点と言われる特定の温度と圧力の条件(温度374 ℃、圧力22 MPa)を越すと超臨界水になり、液体と気体の区別がなくなる。この超臨界水に至る過程では、水素結合が段階的に切れて、上で述べた超短時間の水分子の集合状態(クラスター)が小さくなり、最終的にはほぼ2〜3分子が水素結合で繋がった状態になる。(超臨界水は、水素結合がほとんど切れた状態なので、究極のクラスターの小さい水ということができる。因みに完全に水素結合が切れた状態は気体の状態である。)
図1を見ると「室温の水」(青のグラフ)から「超臨界水」(赤のグラフ)まで、このO-H伸縮振動領域のラマンスペクトルが顕著に変化していることが分かるであろう。さらに、この図1から分かる事は、水分子の水素結合に何らかの変化があれば、まず、この振動数領域の振動スペクトルに変化が現れることが分かる。水のクラスターが変化するという事は、水素結合の状態が変化することと同じ事であるから、もし、何かの処理で水のクラスターが変化したとすると、まず、この振動数領域の振動分光スペクトルの変化として現れる。
つまり、振動分光スペクトルに変化が無ければ、水のクラスターに変化がないことになる。
図1 水の水素結合の変化とO-H伸縮振動のラマンスペクトル変化。
水素結合が切れる(短時間の"クラスター"が小さくなる)とスペクトル幅が急激に狭くなる。

2.3 実験環境
2.3.1 実験機材
そこで、実際に、東京都の水道水(都水)について、蛇口から出た水とこの水を「マグローブ」を通して得られた水について、ラマンスペクトル及び赤外スペクトルを測定した。
試料作成に用いた「マグローブ」は、「給水用具(その他)の認証登録証」と「Maglobe」の表題のついたパンフレットその他が同封されて、「(有限会社)健康と環境の神戸クラブ」から送付されたものである。納品書に、マグローブ1 (198,000円)と書かれた製品であり、原告会社の正規品である。
2.3.2 ラマンスペクトル測定の詳細
測定の詳細は専門的になるが、以下のとおりである。
ラマンスペクトルの測定温度は室温25℃、光源はアルゴンイオンレーザ(488 nm)、出力300 mW、分光器はダブルモノクロメータ(U-1000、Jovin-Yvon社)、スペクトルの検出は光電子増倍菅を用いて光子計数法で行った。分光器の分解能は8 cm-1である。
ラマンスペクトルの強度は測定系の複素感受率の虚数部に、温度因子(ボーズ因子)、散乱光の散乱効率、装置関数を掛けた式で表される。これらの補正を順次行い、複素感受率の虚数部 χ"(ν)に直したスペクトルを「還元ラマンスペクトル」という。
装置関数の補正はキニーネの発光スペクトルで行い、温度因子と散乱光の散乱効率は通常の手続きで行った。
ラマンスペクトルには、入射光と散乱光の偏光の関係で(VV)スペクトルと(VH)スペクトルが存在する。(VV)スペクトルとは、レーザ光の電場を垂直にした入射光に対する散乱光のうち、垂直の電場を持つ成分を持つスペクトルのことで、(VH)スペクトルとは、レーザ光の電場を垂直にした入射光に対する散乱光のうち、水平の電場を持つ成分を持つスペクトルのことである。
これらの(VV)スペクトルと(VH)スペクトルを用いて、(VV)-(VH)*(4/3)*γの式で得られるスペクトルを対称化スペクトルと呼び、伸縮振動のような対称性の高い振動スペクトル解析する際に有効なスペクトルである。
係数γは、四塩化炭素の偏光解消モードを用いて校正した。こうして得られた、対称化還元スペクトルが図2に示されている。縦軸は複素感受率の虚数部χ"(ν)、横軸は振動数をcm-1で表した量で、1 cm-1は30 GHzに相当する。
2.3.3 赤外スペクトル測定の詳細
赤外スペクトルの測定温度は室温27℃で、分光器は顕微赤外分光器(IlluminatIR、Smith社)を用いた。分光方式はダイヤモンドATR法で、ダイヤモンドの全反射を利用して吸収スペクトルを測定するものである。縦軸は吸光度(absorbance)、横軸は振動数をcm-1で表した量、1 cm-1は30 GHzに相当する。
2.4 実験結果
ラマンスペクトルの測定結果は、図2記載のとおりである。図2の青の丸が水道水のスペクトルで、赤い線がマグローブを通した水道水のスペクトルである。
いずれの水も、測定温度は25℃である。マグローブを通した水のラマンスペクトルは、通さなかった水のラマンスペクトルと、実験誤差の範囲で全く変化がなかった。これは、磁場を通しても水の水素結合の状態が全く変化していない事を意味している。
赤外スペクトルの測定結果は、図3のとおりである。
青の丸が水道水のスペクトルで赤い線がマグローブを通した水のスペクトルである。いずれの水も、測定温度は27℃である。マグローブを通した水の赤外スペクトルは、通さなかった水の赤外スペクトルと、実験誤差の範囲で全く変化がなかった。これは、水素結合の状態が全く変化していない事を意味している。
つまり、マグローブのように水のクラスターに対して、マグローブの磁気が影響を与えていないことがラマンスペクトル及び赤外スペクトルの測定結果から明らかになった。
図2 水道水とマグローブを通した水道水のラマンスペクトルの比較。

図3 水道水とマグローブを通した水道水の赤外スペクトルの比較。
3 マグローブを通過させた水道水に表面張力の変化が見られるか
3.1 表面張力について
水は表面張力が大きく、例えば、アルミニウムの1円玉が水に浮くことはよく知られている。水に何かの物質が溶けると一般的には界面活性が変化し表面張力が減少する。水に洗剤を溶かすと表面張力が劇的に減少し、通常は溶けない油も溶かすようになることはよく知られている。
つまり、水に何かが溶けたり混ざったりすると、表面張力が変化するので、表面張力を測定することにより、水に何かが溶けているかどうかを判断することが可能になる。
特に、本件訴訟では、原告はマグローブを通過させた水は、通常の水道水よりも油を良く溶かす等と主張しているため、この点の確認をおこなった。
3.2 実験環境
水の表面張力について以下の測定を行った。
(1)蒸留水(Wako純薬 500 ml ボトル)の表面張力
(2)水道水の表面張力
(3)水道水をマグローブを通した水の表面張力
(4)水道水にサラダ油を2%分液ロートに溶かして撹拌し、30分以上静置。下層の水の表面張力
(5)マグローブを通した水にサラダ油を2%分液ロートに溶かして撹拌し、
30分以上静置。下層の水の表面張力
表面張力の測定は室温25℃で、デュヌイ表面張力計を用い、白金の輪を用いた輪環法で行った。
水道水と水道水をマグローブを通した水については、それぞれの測定において器具も含めて条件を一致させて測定を行った。また、測定の順番は、水道水を測定した後でマグローブ水を測定した。マグローブ水での測定の際には、測定の前に試料を入れるシャーレをマグローブ水で十分にとも洗いを行った。
3.3 測定結果
測定結果は表1のとおりである。
(1) Wako純薬から購入した蒸留水(500 mlのボトル)の値は、25℃の文献値と一致している。
(2) 水道水の値も、蒸留水の値と同じになった。
(3) 水道水をマグローブに通した水についても、蒸留水の値と同じになった
(4) 水道水に2%のサラダ油を入れて撹拌して静置して2相分離状態を確認した後、分液ロートの下層の液を採取して測定を行った。サラダ油が水と混ざっていることが、表面張力の低下で確認できた。
(5) 水道水をマグローブに通した水に2%のサラダ油を入れて撹拌して静置して2相分離状態を確認した後、分液ロートの下層の液を採取して測定を行った。この表面張力の測定置は、水道水での結果と誤差の範囲で全く同じとなった。
このことから、マグローブを通した水が、表面張力が低下するかのような事実や、マグローブを通した水が油を良く溶かすかのような事実自体が認められないことが確認できた。
表1 水の表面張力の測定結果
| 試料(室温 25℃) | 表面張力(mN / m) |
|---|---|
| 蒸留水(Wako 試薬) | 72.2 ± 0.5 |
| 水道水 マグロープ+水道水 |
72.1 ± 0.5 72.2 ± 0.5 |
| 水道水+2%サラダ油混合 マグローブ水+2%サラダ油混合 |
59.0 ± 0.5 58.9 ± 0.5 |
参考文献
[1] 冨永靖徳:「水のクラスター」、ぶんせき(日本分析化学会)、No.7、396-398 (2004).
以上
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